1.触れる 律
あなたは今どんな表情をしているのだろう。
僕がそれを確かめようとあなたの頬に指を這わせれば、きっとあなたは表情を変えてしまう。
瞼を下ろし、唇を軽く閉じた、眠っているような顔。
それは僕に顔がわかり易いようにかもしれないし、感情を悟られない為の手段なのかもしれない。
あるいは深い意味はなくただ反射的にそうしただけなのかもしれない。
そんな偽物の表情を用意するくらいなら、僕の手を邪険に払いのけて、強い言葉で罵ってくれたらいいのに。
あなたはいつも安易な優しさを選択する。僕にもあの男にも。
それがどれだけ僕を傷つけるか知らずに。
同じ優しさなら、ねぇ。
あなたの手を僕の頬に導く。僕にもあの男と同じように触れて。
あの男にしたように、僕にもして。ねぇ。
あなたは今どんな表情をしているのだろう。
きっと悲しそうな顔をしている。
―――そうであって欲しいと、僕自身が祈りながら、指先であなたの頬に触れる。
2.怒る あぺ
まあそうほっぺたを膨らませることはないじゃありませんか。
あれが君のとっときの豆大福であることは重々承知の上だったのですが、何分急な来客で、他にお茶請けが見当たらなかったのです。
お詫びと言っては何ですが、明日朝一で同じ豆大福を一箱買って参りますゆえ、こちらを向いていただけるとありがた……
「……………」
……はい、今すぐ買ってきます。行ってきます。
ああっパソコンに体重かけるのやめてっ!
3.笑う 繋がれた男
朝が来たんだ。獄に繋がれた男はそう言った。
いや、違うな。朝が来た夢を見たんだ。そして目が覚めた。そうなんだろう?
ここには朝も夜も来ない。どこまでも湿った暗闇が続くばかりだ。お前たちは黴を舐める蛞蝓で、私は毒の胞子を吐きだす赤い頭の茸なんだ……おいお前、私が狂っていると思っているんだろう?
私は正常だよ。数だって数えられるしいくつかなら詩を諳んじることもできる。お前にも聞かせてやろうか。
看守は呆れたように首を振り、鉄格子の前から立ち去る。巻き起こった小さな風が灯火を揺らし、男の目に映る小さな世界をつかの間かき混ぜた。
おお、まるで嵐の中を往く船に乗っているようだ。それともシャンデリアの煌めきか?着飾った女達の金細工や宝石が光を反射してね、きらきら、きらきら、その中でワルツを踊るんだ。くるくるくる、私はダンスが下手でね、皆が私を見て笑うよ、はは、はは、ははは。
男の嗄れた笑い声は、彼の他には誰もいない石の小部屋に、いつまでもいつまでも響いていた。
4.泣く(泣かせる) ねずみ
ちゅう
なきました が なにか
5.貴方(ユーザ)の知らない所で 三木
→ ハンターズハイ
6.痛いよ アロイス
鈍色の切っ先が彼の腹部に食い込んだ。
彼は小さく呻き、眉間に薄くしわを寄せたが、すぐにいつもと同じ穏やかな表情に戻った。
私の予想を反して、彼の身体は霧のように四散したりはせず、私の腕を伝って地面に流れ落ちる彼の身体を温めていた液体は人のそれと同じ赤い色をしていた。
まるで夜の化身のような彼の体が何でできているか知りたかった。なんて、言い訳。
不安は私の中で水を吸った海綿のように膨らんで、私の理性の箍を壊してしまった。
私は彼にどこにも行って欲しくなかった。ただそれだけの為に、私は。
涙が溢れる。ナイフの柄を握りしめたままの手が震えた。手首から先が死んでしまったように固くなって、開かない。
私は彼の顔を見た。彼はまるでいつものように曇りのない笑顔を浮かべ、そのまま私の身体を抱き寄せた。ナイフは更に彼の身体深くに潜り込み、私は悲鳴を上げる。
彼は強張る腕で、それでも強く強く私を抱きしめる。
「大丈夫……大丈夫だよ。ただ、少し……胸が痛むだけさ。君にそんな悲しい顔をさせてしまって」
彼は私の髪を撫でながら、荒い呼吸を押し殺して優しい言葉を紡ぐ。
ねえ、その言葉も全部、嘘?
問いかけに、彼は何も言わず私の髪を撫でるばかりだった。
7.さよなら(\e) 侘助
後ろ手で躊躇いがちに閉められる戸板のきりきりと軋む音。閉め切ってしまえば、わたしの声が向こうの世界に届く事は決して無い、と、知っているからわたしは安心して啜り泣く。
願いを口にして、それが叶って、だけどそれを重ねた先にあるのは人並みの幸せではない。解りきっていてそれでも見る浅はかな夢。裏切りの傷を恐れて指切りなんて子供じみた誓いすら立てられずにいるわたしにはそんな夢を見る資格すらない。
春先の乱暴な風が戸板を揺らして、その音に何かを期待する自分に気付いて腸を茨に掻き毟られたようになる。
優しくしないで欲しい。待たせないで欲しい。ここにいて欲しい。抱きしめて欲しい。殺して欲しい。棄てたはずの言葉が狂った文鳥の様に肋骨の籠の中を飛び回り、胸ばかりどくどくと激しく脈打ち身体の熱を吸い上げて、手足は固く冷えて動かない。良かった、これでお前を追いかけられない。見たくないお前を見つけずに済むから。
不器用な手で鶴を折るように、不幸の理由を作って並べて、わたしはここで待っている。お前か、わたしを殺す絶望の朝。