目の端に白と茶色のかたまりを捉えて、行き過ぎた公園の入口に足を戻す。
車止めを挟んで1メートルと少し。猫がいた。毛を逆立てて膨らんだ体の下に白い前足を揃えて並べ、一度は通り過ぎてわざわざ戻ってきた痩せた青年を見開いた目で観察している。
三木は車止めを乗り越えて、猫の前に跪く。
「おいで」
動物に不慣れな人間は大抵そうするように、彼もまた、優しい、それでいてどこか怯えているような声色で話しかけ、恐る恐る猫の前に手を差し出す。
気高い小さな獣は目の前に差し出された指先の匂いを少し嗅いだ後、しなやかに身を翻し、尻尾の先で三木の手を叩いて走り去った。
「嫌われちゃった」
拒絶された手を膝の上に落とし、少し照れたように笑って、立ち上がる。茶斑の猫は離れた場所で立ち止まり、頭だけで振り返って三木を見ていた。立てた尻尾がやわやわと揺れている。バイバイ、口の中で呟いて小さく手を振り、背を向ける。
張り詰めた針金が弾けたような音。小さく鋭い鳴き声。振り返る。
空気の抜けたゴムまりのように地面をぐにゃぐにゃと跳ねるそれはほんの数十秒前ほんの僅かに触れ合ったあたたかな生きもので、赤黒い泥で汚れてしまった白い毛皮に突き立ったステンレスの棒はおそらくボウガンの矢。
右前方の植え込みの陰で歓声が上がった。
「っしゃあ!命中!」
「ちょ、本当に当てんなって言っただろ!」
「いいだろ一本くらい、抜いて洗ってまた使えばいいじゃん」
「嫌だよ、なんか汚いし……触りたくない」
「汚くないって、死んだばっかだし」
「何だよその理屈……」
草むらから矢が飛びだし、動かなくなった猫の頭に突き立つ。
「あっ!」
「動かないのに撃っても面白くないな。他の獲物探さね?」
「だからさぁ!」
「わかったって、洗って返せばいいんだろ……お前ってそういうとこ面倒臭いよな……」
植え込みから二人の人影が這い出してきた。顔立ちに幼さを残した二人の少年。持て余し気味のブレザーは少し離れた場所に立つ中学校の制服だっただろうか。
汚れた毛皮を囲みはしゃぐこどもの様子を眺めながら、三木は目の前の光景とは全く違うことを考えていた。手に触れた猫の尻尾の柔らかさ。成長を見越して少し大き目の制服を買い与えたであろう少年たちの両親のこと。これから会う友達の顔。
毛皮をつま先でつつき回していた(おそらくボウガンを撃った方の)少年が、人の気配を察したのか顔を上げ、公園の入り口の方向を仰いだ。少年の目はすぐに公園の入り口で棒立ちのままの三木の姿を見止める。少年の嘲蔑を含んだ視線は、すぐに恐怖へと色を変えた。顔ににやにや笑いを貼りつけたまま。
怖いの? 三木は首をかしげる。何が怖いの?
ここへ来るまでに3人の命を奪った文字通りの『毒牙』が悪趣味なだけの装飾品ではないと気づいたからだろうか。彼を狩猟に駆り立てた本能が、今まさに彼ら自身が狩られる側へ変わったことを告げているのだろうか。
もう一人の少年が、友人の異変に気がついた。友人の視線を辿り、三木を見る。その後のリアクションが彼の友人をなぞり描いたようにそっくりなのを見て、三木は少し笑う。タランチュラの長く太い牙を剥き出しにして笑う男は、少年たちにはどう見えているのだろう。邪悪な吸血鬼?
二人は顔を見合わせ、叫び声を上げた、ような顔をした。実際に三木の耳まで届いたのは、ため息とも欠伸ともつかない呼吸音。
ボウガンを持った少年が、先に駆け出した。遅れて駆け出した少年の襟首を三木の手が掴む。
「た、たっ……」
「何?」
「た、助けて」
「駄目だよ」
色を失くした少年の頸に、深紅の牙が食らいつく。