お家に帰ろう

錆びついたドアを開いて真っ先に目に飛び込んできたのは、暗闇の中、青白く発光する少年の姿だった。

心臓の弱い人間なら叫び声でも上げそうな所だが、俺にはもう慣れっこの光景だ。

「また来てたのか……律」

「あ、おかえりなさい」

リビングにぺたりと座り込んだ律は、こちらに顔も向けずに言った。テレビの映像が切り替わり、子どもの顔が今度は赤く染まる。

「明かり点けて見ろって言ってんだろが」

「うん、ごめんね」

立ち上がり、電灯のスイッチを入れる。悪びれもしない。

いつも不法侵入しては部屋をとっちらかして帰っていくこのクソガキを、今日はどうやって追い返したもんか玄関先で思案していると、背後でもそもそと蠢く気配。そうだ、今日は厄介な物がもう一つあった。

いつまでたっても部屋に上がらない俺を不審に思ったのか、律が玄関までやってきた。そして、俺の後ろに立つ影を見止めて、小さく息を吐く。

「今日も男を連れ込んだんだね」

恨みがましい口調でのたまうが、そもそもここは俺の家だ。

まあいいや、と律は俺の目の前に手のひらを突き出し、にこりと笑う。

「2時間くらいコンビニで時間潰してきてあげるよ」

大きなお世話だ。

握りこぶしで頭を軽く小突いてやると、ぷぅと頬を膨らませる。

いかにも演技じみた表情だが、律曰く『馬鹿みたいにわかりやすい方が大人受けする』らしい。俺に通用しないとわかっていても、彼なりの処世術はすっかり身に染み付いているのだろう。

「馬鹿なこと言ってないで、風呂湧かせ」

「……いくら僕でも、子どもの前では拙いんじゃないかな」

「違う!」

どうやら根本的に勘違いされているらしいが、説明するのも面倒で、いいからさっさとやれと尻を叩く。

律は、虐待だなんだとぶつくさ言いながら、のろのろとバスタブに湯を張りに行った。

後ろを振り返ると、相変わらず読めない表情の男がぼんやり突っ立っている。

「とにかく、入んなよ」

男はこくりと頷いて、部屋に上がろうとする。その時男が裸足だという事に気が付いて、慌てて引き止めた。このまま歩き回られては部屋が泥まみれだ。

「律、タオル持って来い」

「僕は召使じゃないんだけど」

「ッ、この……もう良い、お前は風呂見てろ」

怒鳴りかけて、口を噤む。これ以上疲れるやり取りをしていたら、俺はいつまで経っても部屋に入れない。

着ていたシャツを脱ぎ、男の足をぐいぐい拭う。これだって土まみれだが、拭かないよりか遥かにましな筈だ。ついでに汚れ放題の服を全て脱ぎ、まとめて洗濯機に放り込む。

改めてよく見ると、男の服も酷いものだ。一体どこでどんな生活をしてきたものか、灰色のスウェットは垢と土埃で酷く汚れている。

ついでに洗ってやろうと男の服を脱がしにかかった時、風呂場から律がひょこりと首を出した。

「お風呂沸いた……わ、気が早いね」

「……あのな」

「で、どっちから入るの?あ、二人で入るの?」

「もう黙ってろ」

やけに楽しそうな律を部屋に追い立て、男の服をすっかり剥ぎ取って風呂場に押し込む。

白熱電球の明かりの下、男の痩せた体は服を脱ぐと更に際立ち、肌の白さも相まってまるで巨大な骨格標本のようだ。

男は何をどうしていいか解らないといった風情で立ちすくんでいる。

「ほら、これ使って」

シャワーを指差しても、手にとって眺めるばかりだ。使い方がわからないのか。

まったく厄介なものを連れ込んでくれた……と数十分前の己に心の内で毒付きながら、浴室に入って戸を閉める。こうなればいっそ、まとめて浴びた方が手間が無い。

今頃、部屋で聞き耳を立てているであろうガキの頭の中では、下世話な妄想が駆け巡っていることだろう。もう知るか。

「……先に手本見せるから、風呂に浸かって見てろ」

「はい」

俺が言うと、男は素直に頷いて、湯気の立つ風呂桶に身を沈める。心地よさそうにゆるゆると息を吐き出し、そのままずるずると頭まで沈んでいった。

3秒ほど、空白。

「ば、馬鹿ッ!風呂で溺れる気か!」

慌てて首根っこを掴んで頭を引っ張り上げる。男は目を瞬かせ、きょとんとした顔で俺を見ている。何が起こったか把握できないという顔だ。

結局、風呂から上がるまで男は一事が万事その調子で、湯船に沈んだり、石鹸を齧ったりする度に怒鳴りつけていた俺は、浴室を出る頃にはすっかり茹で上がっていた。

「随分大騒ぎしてたね」

ニヤニヤ笑う律に、返事も出来ない。

2008/7/16
リクエストで頂いた現代版律も出してみた。嫌な子ども。