どこで生き方を間違えたんだろう。
真夜中の公園で極彩色のヤクザに腹を蹴られながら、取り留めの無い事を考える。
現状に不満は無い。
なよなよと女々しく振舞えば、物好きな女や勘違いした男が勝手に寄ってきては金を落としていく。雀の涙のような額でも、俺が生きていくには十分だ。東京の空気は肌に合っているし、あのまま田舎で腐っていくより、都会の路地裏で野垂れ死んだ方がずっとマシだと思っていた。
それでも時々、こんなに苦しいのは、やっぱり何か間違っているのかなぁと考える。
だけど俺は、他に上手な生き方なんて知らないから。
痛いのも辛いのも、しょうがないことだと諦めることにしている。
頃合を見て気を失ったフリをすると、ヤクザは動かなくなった俺の懐から財布を抜きとり、手首から時計を剥ぎ取って去っていった。
たっぷり間をあけて、起き上がる。
土まみれの服を掃うと、左手につけていたリングも無くなっていることに気づいた。気に入ってた、高い奴。
「……ふぇ」
唇をすり抜けた溜息は、なんとも間抜けな響き。
ふらふらとブランコに腰掛けて、またふへぇと溜息が漏れ出る。大人の体重がかかって、ピカピカ光る鎖がキィと小さく悲鳴を上げた。
ちょっと勢いをつけて漕いでみる。足が痛くなって、すぐにやめた。
部屋に帰りたくない。そんな気分だった。誰が待っている訳でもない、どこにいても独りなのには変わりないというのに。
俯くと、膝に雫が落ちた。涙ではなく鼻血の。いっそう悲しい。
ジーパンの膝に広がる赤黒い染みを眺めていて、ふと、すぐ前に2本の黒い棒がそそり立っているのが目の端に映った。
足、誰かの。
顔を上げる。
男だ。しかもデカい。
俺はどちらかといえば小柄な方だが、それにしたってデカい。180はあるんじゃないか。
そのくせ、細い。デカいというより、長いという表現がしっくりくる。
それが、小さくしょぼくれている俺を、無表情に見下ろしていた。
「……金なら無いよ、盗られたばっかだから」
口を動かすと、鉄錆の味が口に広がった。
俺の言葉が通じていないのか、男は身じろぎもせずじっと立ち尽くしている。
出稼ぎの外国人かなにかだろうか?
「あー…日本語、わかんない?ノーマネー、俺、金になるもの何も持ってないの。オーケー?」
「……あの」
それらしい単語と身振り手振りで説明していると、日本語が返ってきた。
なんだ、喋れるんじゃないか。
照れくさいような、決まりが悪いような気分を咳払いで誤魔化す。男はちょっとだけ首を傾げて、すぐに直立不動の体制に戻る。まるでロボットだ。
「……とにかく、俺にたかっても無駄だから。どっか行きな」
「あの」
「何」
「なんでしょう」
「はぁ?」
「はい?」
「いや、『はい?』じゃなくてさぁ……何か用、って訊いてんの」
「ようは、ないです」
「あっそ、じゃあ消えな」
「あの」
「……っ、だから、何!」
「こんばんは、でございます」
「はぁあ!?」
一昔前の芸人よろしく、ブランコからずり落ちそうになった。
話が噛み合わない。というか、見えない。妙に間延びした片言が、俺のイライラを加速させる。
くそ、小汚いスウェットにボサボサの頭しやがって、どこの浮浪者が……
「……あ」
ふと思い出す。
そういえば、この近くに大手の病院があった。この公園にも脱走者がやってきて、ガタイのいい看護師に引き摺られるようにして帰って行ったり、高校生の獲物になっていたりするのを、遠くから見たことがある。
目の前で相変わらずぼんやり突っ立っている男も、きっと恐らくお花畑の住人。
もしかして俺は、とても面倒くさい奴に目をつけられてしまったかもしれない。まったく、今日は厄日だ!
「あー……俺、もう、帰らないと」
とにかく逃げよう。もう家に帰りたくないなどと言っている場合ではない。
ぎこちなく、男に背を向け歩き出す。
と、足音もついて来る。
「……勘弁してくれ……」
公園を出る。
まだついて来る。
次第に早足になる。
足音も早くなる。
仕舞いには駆け出した。
足音も駆け出し、そのまま俺を追い抜き、俺の目の前でぴたっと止まる。
「わっ、ちょっ」
勢いがついていた俺は、止まりきれずに男の背中に思い切り衝突。
アスファルトにひっくり返った俺を、やはり無表情な男の顔が見下ろしていた。
「あの」
「……もう、何……」
「それがし、も」
「は?」
「それがし、も、つれていって、ください」
連れてけときたか。
澄ましたツラを殴りたいのを堪えて、聞き返す。
「どこに?」
「あなた、の、いくところ」
それがし。某。
片言で喋るくせに、おかしな所で古風な言い回しをする。
いや、そんなことより。
「行くところって言われてもねぇ……俺、アパートに帰るんだけど」
「はい」
「……つまり、俺の部屋に?」
「はい」
「なんで」
男は口を閉じて、小首を傾げた。と、腹がきゅうと鳴く。明快な返答だ。
……が。
「やだよ。それより、盛り場行って適当な女でも捕まえな。アンタ、そこそこ男前なんだから」
返事は無い。
理解していないのかもしれないが、俺にこれ以上コイツに付き合う義理など無い。大体、何で俺が、こんな得体の知れない男の面倒を見なければならないんだ。しかもタダで。
これ以上厄介事に巻き込まれるのはごめんだ。早く帰って、眠りたい。
眠って全て忘れてしまうのが、およそ人生の全ての場面に適応される最良の選択だ。
電柱に手をついて何とか立ち上がる。足首はズキズキと痛むが、幸い歩けない程ではない。
「じゃ、病院か公園か知らないけど、アンタも早く帰った方がいいよ」
バイバイ、と薄ら笑って手を振ってやる。
背を向ける刹那、男の困ったような顔が視界に引っ掛った。引っ掛ってしまった。
どうしてこんな時ばかり目敏いのかと思いながら、首だけで振り返る。
「かえるところは、ありません」
極々小さな声は言った。
俺は、今日何度目かの溜息をつく。
10分後。
街灯にぼんやり浮かぶ道を、男の手を引いて歩きながら考える。
俺が生き方を間違えたのは、他でもない俺の性分のせいなんだろう。
でも、それも悪くないんじゃないかと、少しだけ思った。少しだけ。