荒れ果てた地を往く二つの影があった。
ひとつは男、ひとつは―――…
「……アレックス……今、何か非常に私の気に障ることを言おうとしませんでした?」
「し、してねーよ!?」
素っ頓狂なアレックスの叫びも、辺りに立ち込める濃霧にたちまち吸い込まれ、静寂に返る。
まるで腐った苔を煮溶かしたような悪臭の霧は、全ての音を、景色をモスグリーンに塗りこめて、踏み出した足の先すらおぼつかない。
「足元のヘドロに足をとられて転ばないよう注意してください、アレックス」
「オーケー、そこまで間抜けじゃねぐゲッ! ……」
「進路スキャン結果、廃材、針金などの障害物が張り出している箇所を複数確認。頭上にも気をつけて……って、遅かったですね」
「……あー、今お前の忠告を噛み締めてるとこ……」
ダイオゲネスが振り返る……正確には、カメラレンズが背面に回ると、アレックスが片膝をつき首をさすっている。その上で揺れるたわんだワイヤー。
「大事無くよかったですね。下手したら頭と体が泣き別れで……首からは胴体が、胴体からは首が再生してふたりはアレックス・ザ・アンデッド……!?」
「ねーよ」
「ジョークですよ、AIジョーク」
「ハーハーハー」
「そういうのやめてもらえません!?」
あー、あー、まー、気の抜けた発声練習をして、アレックスは首を廻らせる。四方八方霧、霧、霧。天を仰ぐと、視界が開けた。
ドーム上のガラス屋根はひび割れ、バラバラに裂かれた光の破片は霧に突き刺さり、その間をエメラルドグリーンのオーロラがふうわりとたなびいて通る。
「おォー、ファービュラース」
両手のひらを空に掲げつかの間、ダイオゲネスの方へのけぞるように振り向いて。
「……今のセリフ、カマっぽくない?」
「どちらかというと、乙女チックでした」
ダイオゲネスのカメラレンズが絞られて……おそらく、人間でいえば目を細める表情で……静かに降る光の雨を見る。
「私は美醜を捉える感性を持ち合わせてはいませんが、視覚官能の分類として印象を人間的に表するのであれば、この光景は、幻想的、退廃美、なんかホラーゲームの中盤に出てくる城っぽい、などの表現がふさわしいでしょう」
「つまり、きれいだね、ってこと?」
「つまり、そういうことです」
一人と一体は再び歩き出す。
「なあダイオゲネス」
「なんでしょう、アレックス」
「天井があるってことは、屋内ってことだよな?ずいぶんでっけえ家だなあ、こりゃ」
「データ参照中… … …はい、ここは過去世界で、大使館として利用されていた施設です。ゴシック・リバイバル様式で建築された比較的新しい建造物ですが、彫刻やステンドグラス等の装飾は19世紀初頭の骨董品が用いられました。
特に絢爛華美な二階ダンスホールは当時ちょっとした話題となったそうで、某国王夫妻の接待にも使用されたとか。それがちょうど、ここです」
「ここ?」
「ええ。まさにここ。今我々が毒霧に捲かれている、この空間です」
アレックスは足を止め、右を見て、左を見て、下を見て、ダイオゲネスを見る。
「えーっと、質問は?」
「受け付けます」
「タイシカンとかゴシックなんとかっつーのは聞いたってたぶんわかんねーしどーでもいいし、とりあえず忘れる」
「賢明な判断です」
「俺たち、いつの間に階段上がった?」
「いいえアレックス、我々は壁の穴から歩いて進入しました」
「じゃあ一階は?」
「通常、二階の下の階です」
「……俺、お前は妖精にしちゃ話のわかるヤツだと思ってた」
「わーかーってますよ!詳細は不明ですが地盤沈下で一階部分がまるごと沈んだようです」
「じゃあ、一階は泥の中か」
「イエス……んん?ちょっと待ってください……」
ダイオゲネスが歩みを止め、しばし沈黙する。代わりに稼動音がわずかばかり高くなり、そして、静かになった。
「… … …エコーによる測定の結果、地下に大きな空洞を感知」
「おぉ?」
「降りるルートを?」
「……んにゃ、やめとく。毒霧と泥で漬かった肉なんてさすがに俺でも食わねーよ。よっぽど腹減ってなかったら」
「それは腹減ってても食わないで下さい!」
一歩踏み出したアレックスのブーツのつま先に硬いものが当たり、泥の中から光る物が顔を出した。
それは奇妙な銀色の物体で、三又に分かれた先端は皿のように平たくなっていて、皿の中心には鋭いとげが一本ずつ生えていた。
「ほう!」
ダイオゲネスが感嘆の声を上げる。
「これはすばらしい、非常に状態のいい銀製の燭台です。アレックス、ツイてますね!」
「なんで?」
「なんで?って……このご時勢めったにお目にかかれない本物のアンティークですよ、しかもほぼ完品といってもいい……」
「でも食えないし。武器にもならないし」
「好事家相手なら、あなた一週間分の食料とトレード可能と推測」
「やったなダイオゲネス!こいつぁすげえお宝だぜ!」
「いちいち食料換算しないと価値がわかりませんか?」
おどけて頭上に掲げた燭台の更に上数十センチを、凝る霧が駆け抜けた。
アレックスは腰のベルトに銀の燭台を差し込み、入れ違いにナイフを抜く。動きには僅かの動揺もない。
「で、誰がツイてるって……?」
フウゥ、フウゥ、わだかまる霧の塊が低く笑う。
いつの間にかそれは二つ、四つ、八つと数を増し、値踏みするように一人と一体の周囲をうろうろ歩き回る。泥を踏む足音はまるで舌なめずり。ぺちゃ、ぺちゃ、ぺちゃ。
「複数のエネミーと接触、正体不明。アレックス、私に時間を―――」
「こいつらに言ってくれっ!」
化物も人間も、先攻後攻を決定するのは腹を決めた1匹目―――『景気づけ』。
アレックスの眼前に赤黒い塊が飛び出した。
二つそろいの白い鋸が、確実にアレックスののど笛めがけ食らい付こうと顎を開く。
体をかがめ、斜め下に回避。飛び越える『それ』のわき腹にナイフを引っ掛けるように突き出すと、前進の勢いのままファスナーでも開けたようにきれいに裂ける。しまった。
この後当然わが身に降りかかる厄災に、気付いた時はすでに遅く。
「わブッ!」
泥とも腐肉ともつかない不潔なジャムがアレックスの赤い髪をヘドロ色に染める。
内臓をぶちまけながら地面に落ちた『それ』を見てアレックスは、大型犬をまるごと寸胴なべでゆっくりじっくり煮込んだらこんなかな、と想像する。
裂けた腹からは(絵でしか見たことのない)ミートソーススパゲティの腐ったような、白っぽい筋組織がだらりとはみ出している。
「食欲ソソる光景だな」
「冗談でしょ!?」
「ゾンビジョーク!」
続けて飛び出す2匹、3匹目を足でいなす。
アレックスの起こした風が深緑の闇をかき乱し、閃くヴェールの隙間から刹那に覗く、四足の愚連隊の片鱗。そのどれも皮膚は爛れて垂れ下がり、かさぶたのように乾いて固まったむき出しの肉の中から半透明の琥珀のように変色した骨が顔を出している。
目玉はすでに半分とろけたゼラチン・ボールとして眼窩に収まっているに過ぎず、それでも体中の穴という穴から体液か泥か腐ったスパゲティのような何かが絶えず噴出したれ流れているのを見れば、コルク栓程度には役に立っているらしい。
4匹目、ナイフの柄で思い切り殴る。水っぽい音を立てて、犬の頭が水風船のようにはじけた。
「なんだ、こいつら脆いぜ!」
「いえアレックス、まだです!」
1匹目の死骸がぶるんと震えた。
腹の傷から垂れたスパゲティがぐずぐずとうねる。それらは身をよじって互いに絡み合い、結びつき、裂け目を縫い留めてしまう。
ぼかりと開けられた骨だけの口から空気が漏れる。フウゥ、ウフウゥ、息を切らした笑い声にも似たその音は、どうやらゾンビ犬たちの上げる咆哮らしい。
呼応するように周りの犬も声を上げる。フウゥゥゥ、ゥウゥフゥ、4匹目の半分の首と、首のない胴体も咆えた。断面で白く細い触手がぐなぐなと蠢く。勢い余って、傷口から触手の一本が飛び出し、ぴたん、と泥に落ちた。
「解析完了。フム、どうやら彼らはパラサイト……寄生生物とその宿主です。
裂傷から見える白い繊維体がパラサイト本体で、犬は蟲を入れた着ぐるみに過ぎません」
不本意に宿主から飛び出してしまったパラサイト・ワームは慌てたように身をくねらせ、新たなベッドを探して泥中を泳ぐ。
哀れっぽく動く白い蟲をアレックスのブーツは無感動に踏みつけ、その上で2回ツイスト。
「ゲエエ……俺、頭から浴びちゃったぜ!」
「大丈夫ですよ、あなたの肉不味いから」
「あー確かに……ってお前な」
「冗談はともかく。目視可能な範囲内での診断ですが、ワームが体内に侵入した形跡はありません。
あなた自身、何か違和感を?」
「いや」
「じゃ、大丈夫です」
「本当に?」
「……たぶん」
「オイ」
「ああそれと補足情報をひとつ。ワームの排泄物に微量の酸を感知」
アレックスを囲む4匹が一斉攻撃。天井のワイヤーを掴みクロスファイアを上に避け、互いにぶつかりはじけて混ざり合った犬の塊の上に着地、続けて飛び掛る1匹に足元に転がっていた人の首大の石礫を蹴り飛ばす。みごと横腹にシュートが決まった。
よく見ると石礫は本当に人首の形をしていて、そのことに気がついたのはダイオゲネスだけだった。本当にこの人は、破損しているとはいえこれだって相当な値打ち物だというのに!
「排泄物って?」
「床一面のヘドロのことです」
「……俺……手で触っちゃったけど……」
「そんなのいちいち気にするタマじゃないでしょう、あなた。
まぁ、微量とはいえ酸ですから。ずーっと浸かっていればよりゾンビらしいビジュアルになれること請け合いです」
「勘弁してくれよォ!」
あわあわとズボンの尻で手のひらを拭う。
「また、空気中に排泄物と同質の成分を測定。揮発したものが霧状となり、ワームはその霧の範囲内で活動する性質があるようです。
衛生からのデータによれば、この霧は建物内および外面3~5M範囲内に充満していますが、それより外には霧、エネミーの存在は確認できません」
「テリトリーの外に逃げるか、霧を晴らして追っ払うか……」
「上出来ですアレックス。あー…それと……」
ダイオゲネスの樽に似たボディがくるりと回る。人間に置き換えれば、おそらく逡巡のしぐさ。
半分再生した犬が、むき出しの頭蓋でアレックスの背中にヘッドバット。よろめいたところに首のない犬が『噛み付こうと』走り寄る。
が、あえなくナイフを握りこんだこぶしごと喉の奥まで深々と突き刺され、手首の先を飲み込んでもがく犬を払うようにアレックスが腕を振ると、遠心力で振り投げられた犬の体は回りながら飛び、霧のかなたで泥臭い水音に変わった。
ダイオゲネスが切り出す。
「いいニュースと悪いニュース、どらちから聞きます?」
「できればいいヤツだけ聞きたい」
「……いいニュースは、あなたは既に2匹……3匹のゾンビ犬を完全に無力化することに成功しています。どうやらパラサイトが一定以上のダメージを負うと、組織としての活動を停止し、宿主の体を捨て逃走を優先するようです。無論、長時間が経過すればこの限りではありません。
で、悪いニュースですが……」
不良犬共はもはや一人と一体の周辺をどろどろ歩き回るだけだった。
不意に、腐臭のする風がアレックスの頬を撫でる。霧は一瞬、アレックスの眼前を阻むように凝縮した後、左右に割れ飛散した。
霧の緞帳が上がった向こうに立っていたのは、見上げるほどに巨大な、双頭の犬。
「……これです」
「……オーケー、把握した」
隆々と筋肉の盛り上がった肩の上に、ひとつの首は前向きに、もうひとつの首は斜めに歪んで生えていた。2本の逞しい前足の間に縮れて鎌状に変形した足があり、ぐびぐびと鈍く痙攣するように空を掻く。
二つの首の合間から、鮮やかなピンク色をした肉腫が覗く。その表面は半透明のゼリー質で覆われ、あたかも巨大な人間の胎児が犬の背中にへばりついているようだった。
まだ足を動かせる犬は、ちょこちょこ駆け足で双頭の犬の背後へ回り込む。
いじめられっ子の子犬を庇い、ぐふぐふと喉の奥で咳き込むような唸り声を上げながら、頭を低く下げ、巨大な犬は一歩前へ。ナイフを構えたアレックスの左足はじりじりと泥を押し、後ろへ。
「背中の大きな瘤がパラサイト・ワームの母体……マザーです。
マザーから微弱な電磁波を感知。これを介して群れと情報を共有しています。
ワームの集合体に過ぎないパペット・ドギーが統率の取れた狩りを可能としているのは、マザーが全体のブレインとなって手足のように操作するためと推察。つまり……」
「ヘッ、がぜん話がシンプルになったな!」
前を向いた方、ぴんと耳を立てた大きい方の首が咆えた。巨大なバキュームが、小石交じりの泥水を一気にすすり上げるのに似た音。
斜めに生える小さい方の首は、固く口を閉じたまま、垂れた耳を神経質に震わせて、やぶにらみにアレックスを見る。
「要はデカ犬をやっつけりゃ俺の勝ち、ってことだ!」
「簡単に言ってくれます……あなたにとっちゃ朝飯前、なんでしょうけど」
ブウゥ、ハム音のため息。
にらみ合う犬と男。
先手を打ったのはアレックスだった。真っ直ぐに突っ込み、矮小な『中足』を踏み台にして二つの首の間に飛び乗る。
垂れ耳の首ががちがち歯を鳴らし、邪悪なノミを振り落とさんと遮二無二首を振り、前足を踏み鳴らし、仰け反って後ろ足で立ち上がった瞬間―――
「あ、アレックス、飛んでー!!!」
相棒の無茶な要求が、恐ろしいスピードで上へ昇っていく。
もちろんその認識が誤りであることを、アレックスは知っている―――崩れた床の雨あられを見るまでもなく。
仰向けに落ちるアレックスは、ふりそそぐコンクリート片のひとつがやけにゆっくりと自分へ迫ってくるのを見た。そしてそれはやがて、衝撃と共にアレックスの視界を完全にふさいだ。
しばしの暗転。
「いっ……たくはねーけど……」
感覚に反して、それは一瞬のブラックアウトだったのかもしれない。
アレックスが泥に寝そべる上半身をやっとこ持ち上げた時点で、天井は未だ崩壊の途中だったのだから。
しかし。
「あー、形勢逆転……」
対戦相手には充分すぎる一瞬だったに違いない。腰の上を丸太のような前足がしっかりと踏みしだいている。運の悪いことに、右手は尻の下。ナイフは所在不明。
立て耳の鼻面がアレックスの目の前に突き出される。閉じきれず干からびた歯茎がむき出しの口から垂れる粘っこく薄褐色の唾液と、その中で泳ぐ無数の細く小さな線虫……おそらくは、産声を上げたばかりのマザーの赤ん坊。
滴る粘液はアレックスの服を汚し、生地に染みきれず腹の上の窪みに溜まった液体の中踊り狂う幼虫たち。
「おーおーおー、これは……ちょっと……」
まずい状況、かもしれない。
腰の上の重みが増す。
振り上げた左腕の、死人色の皮膚に血管が浮いている。明滅するように白く、青く、赤くなるその流れは確実に身体の最上階を目指し上へと向かう。
侵食。寄生虫が達するより早く、その二文字が脳に届く。でも今さらどうしろって?
目の前に大写しの犬の顔が真っ二つに割れた。その中心をゆっくりと、ゆっくりと、波打つ蟲の腹が這い進んで行く。誰かに名前を呼ばれた気がした。
一方その頃、二階。
崩落の穴のぐるりを囲む小犬らは下に落ちた『肉』の動向に興味津々で、残された『無機物』にはこれっぽっちの関心もないらしい。
ダイオゲネスもまた、ドッグファイトの観客に割り入って、階下の成り行きを見守る他無かった。万に一つ、野次馬達の気が変わってちょっかいを出されたとしても、たかだか生体アパタイトに傷を付けられるようなボディではない。
「アレックスー」
返事はない。
「Mr.アレキサンダー、私の助けは必要ですかー?」
小さく声がした。
それは鋭く、切羽詰って、唸りとも叫びともつかなかったがともかく、飄々とした彼が余裕をなくすほどの窮地に立たされていることは明らかだ。
押さえつけられたままのアレックスを注視する。アレックスは自由な左腕を目の前にかざし、数秒硬直して、おもむろに手のひらを顔に押し当てた。歪む口。
本人も予期しなかったであろう力で―――あるいは、この先の展開を予想した女王が自らの意思で飼い犬に脚を退かせたのかもしれない―――根限り左腕を振るい、前脚を横薙ぎに払いのけ、ふらつきながらもその場に立ち上がろうとして、膝を突く。
ダイオゲネスのカメラのせわしない擦過音。
胸を押さえ前屈みに蹲ったアレックスの呼吸は荒く、ハッ、ハッ、と数度短く息をついた後、大きく息を吸って―――
「うげえええぇぇぇ……ッほ、げほッげほッ!」
吐いた。
「……今、録画した映像、私の記録からきれいさっぱりデリートしちゃ駄目ですか……」
「あー……そうしてもらえると俺も嬉しいです」
袖口で口を拭いながら返事をするのは、いつものアレックス。
吐瀉物のほとんどは白い蟲で、固まったり、ほぐれたりしながら先を争って泥の中へ潜り込む。
「体に異常は?」
「なんか、腹ん中、ざらざらするけど……」
服の上から腹をさする。
「大丈夫。特に問題ない」
上で様子を伺っていた犬たちが、階下へ飛び込んだ。
巨大な犬の垂れ耳の首が、粘着質な破砕音を立てる。その音が一際大きくなった瞬間、犬の頭は胴体から離れ、ずるりと真上に伸び上がった。
垂れ耳の首を先に乗せ伸び縮みする蛇腹状の頸は、ワームの胴体とよく似ている。
「よう、マザー」
吐き出した幼虫のいた辺りを踏みにじり、低く身構える。
「かわいい赤ちゃんは離乳食が口に合わないって、さ!」
言い切ると同時に、5歩。
1歩目、泥を蹴って跳び、2、3、飛びかかる雑兵の頭を踏み石に、4、立て耳の鼻を踏んづけ、口が開こうとする力をばねに高く跳躍、そして、
「ママはどうかなっ!」
渾身のミサイルドロップキックは、マザーの寄生核に深々と食い込んだ。
立て耳の首が眼を剥き、生臭い咆哮と白い糸ミミズを撒き散らす。
狂ったようにぐねぐねと激しく首を蠢かす垂れ耳の首が、歯をむき出しにアレックスへと飛ぶ。
「お前はこれ食ってろ!」
肩口に噛み付く寸前、咄嗟に腰から抜いた燭台を突き立てる。
銀の三又槍は垂れ耳の両目と眉間を易々と貫き、顎まで達した先端の開けた穴から泥のような体液が噴出した。
と、同時に周囲を取り囲むゾンビ犬たちが、溶けるように崩れ落ちた。だぶだぶの皮と骨だけの犬の下からぞっとする量の腐れスパゲッティーが流れ出し、泥へ吸い込まれていった。
自らの生み出した奴隷たちが身を翻して逃げる様を見て発狂でもしたのかと思うほどに、垂れ耳の首が上も下もわからないほど空中で激しく踊りまわり、おしまいに、神に救いを求めるかのように、天上の穴から降り注ぐ柔らかな光へ真っ直ぐに首を伸ばす。
琥珀色に濁った眼球に、銀色の光が反射した。
「残念ですが、この世界に神は存在しません」
力尽きた首が、下に落ちる。
「……ご愁傷様」
荒野を往く二つの影があった。
「なあ、ダイオゲネス……」
「なんでしょう、アレックス?」
「俺の肉、虫も食わないほど不味いかな……」
「なんでちょっと凹んでるんですか。不味くて幸いじゃないですか、おかげで命拾いしたんですし!」
「いやまあそうなんだけどさ」
「……確かに不思議ですけどね。おそらくあなたの特異体質と関係があるのだとは思いますが……それより私は腐った肉でも平気で食べるあなたにびっくりです、虫も食わないアレックス」
「だって腹減ってたんだもんよ!」
「だからあの燭台を食料と交換するつもりだったんじゃないですか!なんで壊しちゃうかなー!」
「壊してねーよ!ひっぱったら台座がもげたんだよ!」
「一般常識的にはそれを壊したと言うんです!そもそもひっぱったらもげるようなところに刺すのが悪い!」
「それはナイフが……そうだよ、俺ナイフ失くしちまった!あれ、手に馴染んで使いやすかったのに……」
「……アレックス、それわざとじゃなかったんですか?」
「? なにが?」
「自分の尻を触ればわかります」
「ん?なんか刺さって……あ」
男の名はアレックス。相棒はダイオゲネス。二人の旅はまだ続く。
『スカベンジャー』
腐肉食性寄生ワーム。嫌気性。
無数の群れはすべて一体のマザーから生み出される。
『パペット・ドギー』
寄生されゾンビと化した犬。
寄生虫は死んだ犬の中身を食い荒らし、自らのひも状の体を筋肉の代わりに「着ぐるみ」を動かす。
『オルトロス』
スカベンジャー・マザーに寄生された犬。ベースは汚染による突然変異で巨大化したつがいの犬。
肉体が結融合し、双頭の犬に見えるもの。パペット・ドギーは二匹の子供達だった。