不毛の地を往く二つの影があった。
一つは男、一つは樽―――…
「誰が樽ですかっ!だれがっ!」
「うおっ!なんだよいきなり、びっくりした……」
「はっ!すみません、今空耳が……人工知性たる私が空耳なんて!非ィ科学的な!サーイエーンス!」
「……お前、疲れてる?」
軽口を叩く二人の両脇に居並ぶ黒ずんだ廃墟群の、壁の亀裂や四角く切り取られた窓の間を不純物を含んだ風が流れ、時おり潮を吹くように飛び出す。
円盤状の合金板がくわらんくわんと軽薄な音を立てて二人の前を転がり横切っていった。
それを横目で追いながら、男―――<不死なるもの>アレックスが口を開く。
「見慣れないもんばっかりだな、ここ」
それを聞いて、樽―――アレックスの相棒、D10-GNS型人工知能搭載ナビゲーションシステム、通称ダイオゲネスが呆れたように相づちを打つ。
「アレックス、前にここを通った時も同じこと言ってましたよ」
「えー、そうだったっけ?」
「……覚えていらっしゃらないようですので全く同じ説明を繰り返しますと、ここは過去世界では『造船所』だったようです」
「ゾーセンジョ?」
「船舶の建造・修理を行う施設です。過去世界の情報によりますと、この造船所は軍艦の建造も可能な大規模な造船所だったようですね。今我々が立っている場所はドライドックと呼ばれ……」
「グンカン……なんだろ、腹減ってきた」
「……『のれんに腕押し』とはまさにこのこと……」
「ノレンって?食い物?」
「いーえなんでもございませ―――」
アレックスの先を行くダイオゲネスの尖った言葉尻が、頭上の轟音に飲み込まれた。
反射的に飛び退いたアレックスのコンマ数秒前までいた場所に瓦礫の雨が降り注ぐ。
「あっぶね!」
「だ、大丈夫ですか!」
「おー、平気平気」
手のひらで庇を作り天上を仰ぐと、先端に鉤状の器具が取り付けられたくすんだ赤と白の鉄塔が斜めに傾ぎ、錆をぱらぱら降らしながら、危なげにぎいぎいと揺れている。
「あれが傾いたんだな」
「塔型ジフクレーンです。あれで艤装機材を運んだり船を持ち上げたりするんです。腐食が進んでいたんでしょうね。ここに留まるのは危険です。さ、早く先へ進みましょう」
「へー……あれ、伸びるのか」
「そりゃあ伸びるでしょ……って、え?」
ダイオゲネスの本体上部に取り付けられたカメラレンズが主の目と同じ方向を向く。
クレーンの基部がぐらぐらと揺れながら―――現代において慣用的な表現を用いるならば、筍が育つように―――空を目指してせり上がっていく。大地が揺れ、長い時に踏み固められた黒い土がひび割れ、その下から緑色の岩が―――否、『有機的な』何かがその巨大な様相を地上に表そうとしていた。
大きく左右に揺れるフックの振り子下あたり、人間大ほどの土瘤が盛り上がり、黒くつやつやした質感で上部がへしゃげたような形の球体が二つ顔を出す。続いて、クレーン下の地面からから鈍い光沢の緑青色をした鉄柱の如き六本の足が起き上がり、最後に、その巨躯にさえ大きすぎるほどの鋏が、ずるりと地面から引き抜かれた。
「カニか!」
「いえ、腹部がヤドに覆われているということはヤドカリ……って、そんなことはどうでもいい!ここは逃げるが勝ちです、アレックス!」
ガチンッ!
巨大な鋏が閉じ合う音を合図に、アレックスは駆け出した。まっすぐ、巨大ヤドカリへ向かって。
「……って、えええええ!?」
振り下ろされた鋏のハンマーの上に飛び乗り、脚伝いに一気に駆け昇る。大きな目玉に飛び移り、ナイフで一撃。カキンと甲高い金属音。傷ひとつ入らない。
ワイヤーが風を切る音がした。
ほんの僅か、対応が遅れる。体がまるごと真横に吹っ飛んだ。投げ出された体は地面に落ちず、空中でコンパスのように動きヤドカリを中心とした半円を描いた。横腹に違和感。下を見る。大きなフックが腹を貫いている。
「おお!?」
拘束から逃れようともがくアレックスのすぐ横で、ガチンッと鋏が鳴る。慌てて体を弓形に反らす。ワイヤーがたわみ、アレックスの鼻先を鈍色の塊がかすめた。
フックに貫かれたままなおも激しい抵抗を続ける獲物に、巨大ヤドカリは明らかに混乱していた。頭上で鋏を振り回しながら、目の前にぶら下がった餌を追いかけ、周りの建物を押し崩しながらその場でくるくる回転している。せわしなくきょときょと動く目玉は、人間なら『戸惑いの表情』そのものだろう。
「ぬ、抜けねぇ……」
一方アレックスは、史上最悪のメリーゴーラウンドの上で、未だ体を貫くフックと格闘していた。足場のない空中では、曲がったフックを上手く引き抜けない。
せめてどこかに足がつけば。ヤドカリも疲れたのか、回転はやや緩やかになっていた。回る世界に目を凝らす。積み上がった錆びたコンテナ、簡易倉庫の大きな穴の開いたトタン屋根、建てかけのまま時が止まった大きな建物―――…
突如、釣り上げられた魚のように、アレックスが激しく体を揺らし始めた。大人しくなりかけた獲物が再び始めた抵抗に刺激されたか、ヤドカリもまた激しく鋏を振りたてる。
ヤドカリの地団駄から逃れ、離れた場所で巨敵との攻防を見守っていたダイオゲネスは、不規則に見えるアレックスの動きに、一定の法則を見出した。
「『あの場所』に誘導しようとしている……?」
アレックスの思惑通り、巨大ヤドカリは回りふらつきながら『その場所』へじわじわと寄っていく。もう少し、もう少しで足が―――…
ガコンッ、重たい金属音と共に、ヤドカリの回転が止まった。
「あ、アレックス!無事ですかー!」
フックの先にアレックスの姿は無い。代わりに、鉄骨で組まれたむき出しの骨組みがしっかりのフックの湾曲に食い込んでいる。
突然体を縫い止められたヤドカリは驚き、遮二無二に暴れる。その強い力に腐食した鉄骨は徐々に歪み、とうとう耐えきれずに真っ二つに折れた。ひとつの柱を失った背の高い建物はあっけなくバランスを崩し、ヤドカリの上へ覆いかぶさるように崩れ落ちる。上に積まれていた建築用材の鉄骨が赤い槍の雨となってヤドカリ目がけて降り注ごうとしているのを、ダイオゲネスのカメラレンズが、続いてヤドカリの黒い目玉が捉えた。
世界の破滅を思わせる轟音、一体を覆い尽くす黒い土煙、そして、静寂。
ゆっくりと薄らいでゆく土煙の中に、二つのシルエットが浮かび上がる。
「……んっとに、何考えてんですかアナタは!一歩間違えばアナタも私もぺっちゃんこですよ!」
「なあ、こいつ食えるかな?食えるよな!」
「食い気ばっかりか!まあ、過去世界の文献によりますと、ヤドカリの仲間であるヤシガニやタラバガニは高級食材として扱われ……って、案の定聞いてないんですね。わかってましたけどね、ええ……」
不毛の地を往く二つの影があった。
不死身の男、アレックス・ザ・アンデッド。その相棒ダイオゲネス。二人の旅は続く―――
『カニクレーン』
突然変異ででっかくなったヤドカリ。
普段は地中に潜み、振動に反応し獲物に襲いかかる。おつむはあんまりよろしくない。
小型ボートを背負ったヤドカリ(中)、バケツを背負ったヤドカリ(小)もいる。わらわらいる。
カニクレーンについてまわっておこぼれにあずかったりしている。