黴臭い静寂に包まれていた地下牢が俄に騒がしくなったのを、バルテルミーは石壁に響く音で感じていた。
半ば閉じかけていた目を開く。一人の看守がランプをもって部屋に入ってきたところだった。テーブルの上にランプが置かれると、蜜色の灯が滴り落ち、床に光の波紋を描いた。
次いで、鋼鉄の扉が荒っぽく開けられ、幾人かの看守の手により、一台の粗末な寝台が運び込まれた。鉄格子の前に置かれたそれをしげしげと眺めていると、
「息災か、バルテルミー」
顔にかかっていたランプの光が遮られ、外套と羽帽子を身につけた男のシルエットが描き出された。
「まだ生きていたのか。今にも死にそうな血色で、見上げたしぶとさだ」
「お褒め頂き…光栄…だね」
笑おうとして、喉にこみ上げた血に噎せる。咳と共に吐き出された飛沫が、男の外套の袖に染みを作る。
男はあからさまな嫌悪の表情を浮かべ、ポケットから抜き取ったスカーフで袖の染みを拭おうとするが、赤黒い液体は怨念のように上等なサテンにこびり付き、擦れば擦るほど染みが広がっていくようだった。
「……まあいい」
男はスカーフを床に捨て、目線で看守たちに指示をする。
鉄格子に設えられた小さな扉が開かれ、押し込むように寝台を牢の中へ運ぶ。ガリガリと不穏な音を立てながら、なんとか中に納まると、牢内の後ろ半分が―――ちょうど、バルテルミーの足が床に打ちつけられたところから後ろが―――寝台に埋められる格好になった。
「一体、今度は…どういう…趣向かな……ゲホッ」
バルテルミーの問いに、男は手ぶりで腰かけろと指図する。
腰をかがめようとすると、膝から下に打たれたいくつもの楔から、雷のような痛みが迸った。
一瞬、動きを止め、それでも看守に助けを求めようとはせず、噛みしめた唇の裏に苦痛の呻きを隠しながら、じりじりと時間をかけて体を落とす。
寝台に腰を下ろした頃には、バルテルミーの体は、白いブラウスの下から肌が透けて見えるほどに汗をびっしょりとかいていた。
「やれやれ、御苦労さま。今のお前には難しい仕事を頼んでしまったかな」
嘲笑う声に、一瞬、金色の目の底で焔が閃いた。が、それはすぐに色を失くし、バルテルミーは力なく頭を垂れ、ただぜえぜえとざらついた呼吸を繰り返すばかりだった。
「先だってここを訪れた客人がね」
バルテルミーの様子を意に介すことなく、男は話を進める。
「お前の様子があまりに哀れだと、私に言うのだよ。『なに、彼は人の皮を被った化け物ですからね、あの程度どうとも思っていないのですよ。病人の装いをしながら、心の底では我ら人間を嘲笑っているのですから』と説いても、あれではあんまりひどい扱いだと言い張って引かない。仕方がないから、使用人の家から使い古しの寝具をひとつ引っ張り出してきてやったと、そういう訳だ。まあ、精々客人に感謝して眠ることだ。ああそうだ忘れていた。おい、足の楔を抜いてやれ」
二人の看守が牢に入った。一人がバルテルミーの後ろに回り、首と後ろ手に戒められた腕を押さえつけているうちに、もう一人が手荒く楔を引き抜いていく。穿たれた穴から、錆と、粘っこい血が流れ落ちた。
「これは…これは、随分、慈悲深い…ゲホッ、事だ……」
久しぶりに自由になった足を眺めて笑う。
「そして……この上なく…残酷な仕打ちだ」
ほとぼりが冷めた頃、己の境遇が元に戻ることなど想像に容易い。
男はバルテルミーの恨みがましい言葉を鼻先で笑い飛ばし、こんな場所に長居は無用と言わんばかりに、看守たちを引き連れてさっさと部屋を出て行った。
「そうだ、これを毛布代わりに使うといい。汚れ物だがね」
と、サテンの外套を捨て置いて。
地下牢に再び静寂が戻った。
バルテルミーは、床に落ちた外套には一瞥もくれず、(後ろ手に縛られていては拾い上げて体にかけるなんて真似は到底出来ないし、奴もそれを分かっていてわざと捨てて行ったのだ)硬い寝台にゆっくりと体を横たえた。
背骨が軋む。長い間立ち尽くすことに慣れた体は硬く強張り、鈍い痛みにバルテルミーは苦しげな息を吐く。
それでも、気分は今までにないほど安らかで、それは寝具のもたらす安息ではなく、友の無垢な気遣いが心の内を満たしていた為だった。
次に会った時、なんと礼を述べたものか―――幸福な想像をあれこれを巡らせながら、祝日前夜の子供のような表情で、バルテルミーは瞼を閉じた。