「……また、傷だらけね」
呆れたようなその声を、僕は知っていた。
彼女の冷たい手が僕の頬の上に触れる。甘い薔薇の香り。このまま抱きついて胸にもたれ掛かったら叱られるだろうか。でも、そんな事をしたら彼女が僕を手当てするのを邪魔してしまうし、もちろんしない。
僕達は神社の境内にある大きな桜の木の根元に座っていた。夏だと言うのに、地面はひやりと湿っぽい。空を仰ぐと、ざわざわと風に鳴る青葉。遠くから聞こえるわらべ歌の外に、人の気配はない。
「ほら、上向いちゃ駄目よ。顔の傷が見えない」
「小鳥が鳴いてたんだよ、お姉さん」
嘘だ。鳥なんていない。ただ彼女にもっと触れて欲しいから、僕はさっきから落ち着きなく動いている。
彼女の手は既に僕の顔を離れ、腕の傷を手当てしている。
「……どうしてあんな所にいたの」
僕の腕に手際よく包帯を巻きつけながら、訊ねる……というより、子どもを叱るような調子で、彼女は言った。
あんな所、というのは、彼女が僕を見つけた場所の事だろう。裏通りの一番奥、今にも崩れそうな長屋の前で、僕は倒れていた。
「家に帰る近道なんだよ」
これも嘘。
本当は、あの男の家から帰るところだった。
「誰に殴られたの?」
「わからないな、僕は目が見えないし、僕みたいなのが出歩くのを快く思わない人は、この辺りにたくさんいるから」
これは後の半分だけ本当だ。ただ歩いているだけで、何度石をぶつけられただろう。
でも、誰が殴ったか知らない、というのは嘘。あのだみ声と訛りはきっと、あの男の所に出入りしていた客の一人だ。僕を殴り飛ばすまで、女の人を笑いながら踏みつけていた。
「もう、どうして貴方はそうやって、危ない事ばかりするのかしらね……」
「目が見えないくせに?」
「そんな事は関係無いの」
ぴしゃりと言われて、僕は首を竦めてみせた。もう薔薇の茂みに手は入れないよ、と笑って言う。彼女も笑った。
「ふふ、笑い声も素敵だね、お姉さん」
「……そんな台詞、10年早いわよ」