ええと刑事さん、俺はどこまで話したんだっけね?
俺が貧民街の生まれで、やっぱりお決まりのパターン通り、お袋はアバズレで親父はヤク中で、俺は学校にも行かないでかっぱらいだの盗みだのやって生きてきた……そこまではわかってくれたと思うけど。
そんな事はどうでも良いって?
そりゃアンタ等はそうだろうさ。俺の事なんざとっととブタ箱に放り込んじまいたいだろ。アンタ等はな。
でもな、どんなお話にも順番ってものがある。そうだろ?
刑事さん……アンタのお袋さんは、正義の味方が悪役ぶっ殺すところを先に話してくれたかい?
違う。まずは『彼がどうして正義に目覚めたか』――――そこから話し始めるだろ?
……分かってくれたみたいだね。それじゃ、これから俺が話す事を、しばらくその達者な口を閉じて聞いてくれよ。
俺にはいくつかの日課があった。
その一、飯の調達。
物心ついてからこれを欠かした日は無いぜ。当然、金なんか持ってなかったけどさ、俺には黄金の指先がね……え?盗みの手口はどうでも良いって?分かったよ。そこはまた今度、実演付きでじっくり話してやるからさ。
その二、ネズミ捕りの罠の見回り。
万が一―――実際は結構世話になったけど―――飯が手に入らなかった時の為にね。時々でっかい猫なんか引っかかるんだ。一回、イグアナが掛かった時もあった。まさに珍味って味だったぜ。
そして、その三。近所の教会に行って、ハーデル神父の説教を聴くんだ。
なんだい?その面。無知なガキが教会に行くのが可笑しいか?
確かに俺は学校に行ってなかったけど、ケーブルテレビのおかげで何とか言葉は喋れたし、神父は俺もに解るような、易しい話を話してくれた……と思う。
話を選んでたかどうかは分からないけど、神父が言葉を選んでくれてたのは分かるぜ。字が読めるようになってから聖書に目を通したけど、ちんぷんかんぷんだったから。
とにかく、今の俺はハーデル神父のおかげで生きているって言っても過言じゃない。親も世界も信じられなかったけど、神父と神様の事だけは信じてた。
ならなんで盗みをやめなかったのかって?
言っとくけど、神父が俺の行いを間違ってるって言った事は無いんだぜ。
狭い箱に入れられて、ざんげって奴をさせられた時、俺は自分のやっている事を包み隠さず話した。その時も神父は「神に祈りなさい」としか言わなかった。
神様に謝らなくて良いのかって聞いたら、寂しそうに笑って、
「ジャスティ、生きるために無数の命を犠牲にする私に、君の行いが正しいか正しくないか判断する権利は無いんだよ。
でも、私も、主も、君が毎日を一生懸命生きている事はちゃんと知っている」
って言ったんだ。
あの人は、神父としては変わり者だったんじゃないかな。でも、俺に優しくしてくれたのは、後にも先にもあの人だけだった。
俺は、あの背が高い痩せっぽちの優しい神父の事を信じてたし、誰よりも尊敬していた。それに愛していたと思う―――俺の両親よりずっとね。
だからあの日も、真っ先に神父に助けを求めたんだ。
夕方、罠の点検を終わらせて家に帰ってきたら、なんだかおかしな臭いがしたんだ。
最初は、親父がドア開けっ放しでラリッてんのかと思った。でも、なんだかそれとは違うような……やたらと人を不安にさせるような、そんな不吉な臭いなんだ。
親父の部屋のドアは半開きで、中からラジオが若い男の声でペラペラ喋ってるのが聞こえてた。そしてやっぱり、臭いはその部屋から出てるんだ。
でももし、俺のこのおかしな気分は単なる取り越し苦労で、親父がただラリッてるだけなら、その辺に転がってる酒ビンで嫌になるほど殴られちまうし、だから、最初はそおっとドアの隙間から中の様子を伺ったんだ。
薄暗い部屋の中、よーく目を凝らすと、親父はドアの方を向いて、ぼろぼろの安楽椅子に座って眠ってた。やっぱり俺の不安は取り越し苦労だったんだ……そう思った。
親父の腹から、ネズミの大群が流れ出してくるまではな。
刑事さん、ネズミに襲われた事はあるかい?奴等はああ見えて凶暴なんだ。特に貧民街の奴は。肉の塊がじっとしてりゃ、群れ成して襲い掛かるんだ。
あいつ等にとっては、ゴミ箱の中の残飯も、道端に転がってる酔っ払いも同じ。ヤク中男の死体も然り、って事さ。
あの時は、俺もこの灰色の悪魔にはらわたを喰われるのかと思ったね。本当に、そんな迫力があったんだ。
今考えると笑っちゃうよな……いくら凶暴なネズミだって、生きてる人間に―――たとえそれがちっぽけなガキ一人だとしても―――襲い掛かるはず無いのに。
もちろん、ご馳走をたらふく食った奴等は、小便ちびりそうな俺なんか眼中に無いって感じで、壁のひび割れの中に消えていった。
その後も、俺はしばらくドアに寄りかかって、ガタガタ震えてた。
死体を見た事が無かった訳じゃない。でも、今さっきまで生きていた人が動かなくなるのを始めて見たショック……刑事さん、分かるだろ?うん、ありがとう。
神父なら何とかしてくれる……最初に浮かんだ考えは、これだった。
お袋の顔なんざ、脳裏をかすめもしなかったよ。とにかく、神父の所に行こう。そうしたらきっと何とかなる。
十歳かそこらの、学の無い子供の浅知恵なんかこの程度さ。でも、その時の俺にとって、そうする他に道は無かった。たった一つの救いを求めて、俺は家を飛び出した。
つんのめりそうになりながら、俺は走った。
親父の死に顔と、ラジオから流れてたコールドクリームのCMが頭に浮かんできて、それを神父の笑顔と賛美歌で塗りつぶした。ほんの数十メートルの距離が、果てしなく長く感じた。
ちょっと傾いた教会のドアを開けて、神父の名前を叫んだ。物置小屋みたいな小さい教会だから叫ぶ必要なんか無いんだけど、とにかく声がかれるまで叫んだ。
とうとう息が切れて、その時ひゅっと鼻を突いたんだ。そう、あれとおんなじ臭いが。
まさか……まさか……
キリスト像の裏側の、神父の寝室につながるドアを押し開けると、臭いはさらにきつくなった。心臓が破裂しそうだったよ。
部屋の中は意外にも明るかった。天窓から光が降り注ぐベットの上で、神父はこざっぱりした格好で眠っていた。
ネズミは群がっていなかった。俺はちょっと安心して、神父を起こそうと頬を軽く叩いたんだ。
そこで分かった。神父は神に召された、ってな。
親父の時と違って、怖くは無かったよ。でも、胸がつぶれるほど悲しかった。
でも俺は、ちゃんとお弔いをしたんだぜ。神父に教わった通り、神父が胸に抱いている十字架を、枯れ枝みたいな手ごと包み込んで、お祈りをした。
主よ……ええと、なんだっけかな?なにせ、お祈りしたのはそれきりなもんだから。
とにかく、お弔いは終わらせたんだから、俺は家に帰る事にした。
神父の抱いてた十字架は、記念に貰っていくことにした。ズボンのポケットの中にしまうと、デニム生地の向こう側から、神父の体温が伝わってくる気がした。
さっぱりしたような、幸せなような、そんな気分に浸って家に帰った俺は、嫌な臭いをかいでようやく思い出した。親父の事、すっかり忘れてた!
でも神父はいなくなっちまったし、他に俺が頼れる大人なんて、お袋しかいなかったんだ。
俺は親父よりずっと、お袋のことが嫌いだ。
安い香水をつけて、真っ赤な口紅とマニキュアを塗ったあの下品な感じがたまらなく嫌だったし、男を連れ込んでするアレが、漠然と悪い事のように思った。
その日もお袋は、若いボクサー崩れを引っ張り込んで、お楽しみの最中だった。
俺はドアの外から、できるだけ落ち着いた声を出すよう努力して、言った。
「お袋、親父が死んでるんだ」
簡潔だろ?多少声は上ずったけど、ちゃんと聞こえたはずだ。
でも、お袋は何も言わなかった。中から聞こえるのは、荒い息と、お袋の喘ぎ声だけ。
俺はもう一度、今度は悲鳴に近い、泣きそう声で叫んだ。
「なあ、親父が死んでんだよ!何とか言ったらどうなんだよ!」
すると、中の声やら息遣いがぴたりと止んだ。
さすがにとんでもない事が起こってると解ってくれたのだろうか……俺は廊下に座り込んだ。後はお袋が何とかしてくれる。
だけど、ドアが開いたとき、俺の目の前に突き出されたのは、お袋の優しい両手じゃなく、一袋のトイレット・ペーパーだった。
そして、なんて言ったと思う?
「これで部屋、拭いときな」
だと。
今度こそ、目の前が真っ暗になったね。仮にも旦那が死んだんだぜ?泣きながら死体にすがれとは言わないさ。でも、この女は顔色一つ変えないで、部屋のカーペットの心配をしてやがる。
ドアは閉まって、また中ではアレを始めた。
俺は今度こそ、本当にどうしようもなくなった。
だから、神父の十字架を胸に抱いて、神様に聞いたんだ。
なあ、こういう時は、俺どうしたら良い?神父は苦しい時、アンタに祈れって言った。なら、答えはアンタが教えてくれるんじゃないのか?
その時、頭の中にその考えが沸いて出た。とびきり上等なアイデアさ。
いや、きっと神様が教えてくれたんだ。ええと……そう、啓示。
昔、神の啓示を受けて戦った少女がいただろ?あれと同じ事をすれば良いんだって。
十字架を右手に持ち替えて、腕をまっすぐ伸ばして人差し指をピンと前に向ける。そしてイメージするんだ。毎日のように見てた映画の主人公みたいに………バン!バン!
すぐに、中から悲鳴が聞こえた。悲鳴って言うよりは、潰れた蛙の鳴き声に近かったけど。しばらくガサガサ言って、それから何も聞こえなくなった。
ドアを開けなくても分かる。そこにあるのは、二つの死体。頭に穴を開けた、ね。
もうこんなドブ臭い家に用は無い。俺は、キッチンに隠しておいた小遣い(この家の食い物はピザとハンバーガーだけだったから、見つかる心配は無かった)と、神父の十字架だけ持って、この町を出た。
これが、俺がこの素晴らしい能力に気がついた記念すべき日の出来事さ。
嘘を付くなって?
何度も言うが、これは神様がくれた力なんだ。
悪い奴に正義の鉄槌を打ち下ろすための武器。聖少女の授かった剣と同じ。だから、俺はなにも間違った事なんかしてないんだぜ、刑事さん。
……ああ、もう。アンタがそんな事でいちいち口を挟むから、どこまで話が進んだか分からなくなったじゃないか。
話を戻そう。
俺は貧民街を出てから、いろんな町を流れ歩いた。
その頃は今ほど景気が悪くなかったから、男一人の食いぶちなんかどうにでもなった。盗みをしなくてもな。
たまに、親父の顔やお袋の悲鳴を思い出して、眠れない日もある。そんな夜は、十字架をポケットから取り出して、ぐっと胸に当てるんだ。そうすると、お祈りなんかしなくても、神様の声が聞こえてくる。
それは優しい神父の声で、俺はそれを聞きながら、ゆりかごの中の赤ん坊みたいにぐっすり眠るんだ。
まあ、そんな感じの毎日が続いて、平和と言える日々が十年続いた。
二回目に能力を使ったのは、今日みたいに寒い日だった。
俺はその日、新しい町についたばかりで、ねぐらを探している最中だった。
荷物は相変わらず、ほんの少しの金と十字架だけ。でも、それで不自由を感じた事は無い。俺はこれで、十分過ぎるほど幸せだったんだから。
時間は夕暮れ時、人っ子一人いなかった。その日は底冷えしたから、みんな家に引っ込んでるか、酒場で一杯引っ掛けてたんだろう。とにかく、俺はたった一人で大通りを歩いていた。
しばらくして、ホテルの前を通りかかった時、そこで俺はようやく人影を見つけた。それは、およそこのくたびれた町とは不釣合いな、金持ちの夫婦だった。
二人は俺の知らない言葉で言い争っていた。顔を見た感じでは、アジア系の……たぶん、日本人。
何でそう思うかって?俺が見てきた気に食わないアジア系の金持ちは、大体ジャップだったから。
そいつらも、俺の『気に食わない』の典型だった訳だ。
俺はできるだけ息を殺し、見つからないように行こうと思った。だけど、運の悪い事に、旦那の方に見つかっちまった。おもわずため息をついちまった。
男は、吹雪の中でランプの光を見つけたような顔をしてこっちに歩いてくる。おいおい、勘弁してくれよ。俺はまだ宿も見つけてないっていうのに、厄介事はご免だね。
「ホテルがいっぱいなんだがね」男は片言の英語だった。俺は確信した……こいつらは日本人だ。「他のホテルに案内してくれないか」
「すみません」
俺はゆっくり、はっきり、耳の遠い爺さんにでも話しかけるように言った。
「俺はこの町に来たばかりなんで、ホテルがどこにあるか分からないんです」
「そうそう、ホテル。早く案内してくれ」
俺ががっくり肩を落としたのも分かるだろ?何時間も歩き通しだった俺じゃなくたって、このやり取りはとんでもなくくたびれる。
返事をするのも面倒で、俺の前に立ちはだかる品の良いスーツの小男を押しのけ、歩き出した。相手はしばらくぶつぶつ何かを言っていたが、すぐに聞こえなくなった。
後ろで何か声がした。また夫婦喧嘩か?俺は首だけ後ろに向けた。
突然、目の前に衝撃が走った。ガツンと、雷みたいな火花が散った気がした。思わずしゃがみこみ、ガンガンする頭を抱えてそっちを見やると、数メートル先で小男のツレが、鬼のような形相でこちらを睨んでいる。
真っ白な毛皮のコートに身を包んだ女は、俺に向かってしきりにがなりたてる。何を言ってるかは分からなかった。日本語にしろ、英語にしろ、その時俺の耳には、ロックンロールとラップを同時に大音量で聞いているような、ひどい耳鳴りしか聞こえなかったんだ。
周りを見回すと、黒い旅行かばんが落ちている。俺は呻いた。チクショウ、こんなもん投げつけやがった!
女はまだ何か言っている。真っ赤な口紅を塗りたくった口を大きく開けて。化けヒトデみたいな手を振り回す度に、犬の小便みたいな香水がプンプン臭う。
その時、ポケットの中の十字架が大きく脈打った。
俺にはわかった。もう一度、あの能力を使う時が来たんだ。
立ち上がり、そっとポケットの中に手を滑り込ませる。女は一歩一歩こちらに近づいてきた。右手に握り締め、人差し指で女の口に狙いを定める。あと三歩、二、一………
バン!
すぐに変化は起きなかった。しかし俺はあせらなかった。神は絶対だ。すべての罪人は、神の裁きからは逃れられない。
俺は大きく五歩下がった。罪人の最後を見るために。
女は二、三歩よろめくと、大きく目を見開いた。そして、俺に救いを求めるように手を伸ばし、ふらふらと向かってきた。まるでよちよち歩きの子供だ。口の周りには、今さっきレストランで食べたんだろうステーキのソースがついている。
俺はもう一度、今度は眉間を狙って、バン!
それでおしまい。毛皮の赤ん坊は、びくりと体を強ばらせ、そのまま後ろにばったり倒れた。
そうそう、もう一人。俺は遠ざかる灰色の背中に狙いを定めた。バン!バン!バン!
男は前のめりに倒れ、すぐ動かなくなった。今度はちょっとあっけ無さ過ぎたかな。
俺はすぐに歩き始めた。誰かに見つかるのが嫌だった訳じゃない。ただ、このどうしようもなく昂った気持ちを抑えるために、体を動かしたかった。
やっぱりそうだ!おれはその時、確信したんだ。
俺は神に選ばれた者。
神に代わって、罪人たちを裁かなければいけない……それが俺のするべき仕事だって。
それからの事かい?俺が話さなくったって、アンタ等の事だ、とっくにわかってるんだろ?
実を言うと、俺自身も全部は覚えちゃいないんだ。
刑事さん、アンタだって今まで捕まえた人間の事なんか全部覚えちゃいないだろ?それと同じさ。
でも、もし必要なら……思い出す努力はするぜ。
バーミングハムの双子?ああ、覚えてる。可愛い女の子二人組みだろ。
あいつらは兄貴のキャデラックに男引っ張り込んで金をむしり取ってたんだ。もちろん、イイ事は無し。待ってるのは鉄パイプのキスさ。
オクラホマのパディ……コイツはとんでもない野郎だ。近所の少年をお菓子で釣って、納屋で襲ってたんだ。
セントルイスのクライン兄弟。夜な夜なバイクを吹っ飛ばして、何人も轢き殺していた。でも、親父さんが軍人ってだけで、正当な裁きを受けずにのうのうと生きていた。
なあ、俺は人殺しをしたんじゃないんだぜ。これは神のご意思なんだよ。
アンタ達警察が笊の目から取りこぼしてる犯罪者が、この世にどれだけいると思ってるんだい?そんな奴等を裁けるのは誰か―――?ふふ、そう、神様はいつだって見てるんだぜ、俺の目から、世界を。
そしてこれが最後……そう、俺がアンタ達に捕まっちまうって、人生の中で最悪な日の話さ。
俺は久しぶりに―――町を出てから、十五年が経っていた―――生まれ育った町に戻ってきた。そこはまだ貧しかったけど、ろくでなしの吹き溜まりって感じじゃなくなってた。ほっとしたよ。俺だって故郷の人間を殺すのには、ためらいがあったからな。
故郷っていっても、この町に俺の事を覚えてる人間なんざ一人もいないだろうがな。だけど、俺だって知ってる顔がいないんだ、おあいこさ。
俺の行く場所は決まってる。もちろん、あの教会。
まだあるかどうか自信は無かったけど―――あのぼろっちい建物がまだ無事でいるほうがよっぽど奇跡だ―――とにかく、そこに向かった。
懐かしい赤レンガの壁を曲がって……そこには、教会があった!
嬉しかった。いつのまにか心の奥底にしまいこんでいた、優しい神父の顔が浮かんできた。子供みたいに駆け込んで、デカイ声でただいまを言いたい気分だったよ。
だけど、よく見ていると、なんだかやけに騒がしい。
鉄球のついたクレーン。大きなダンプカー。……ここまで不安になったのは、親父が死んだ時以来だ。
野次馬のふりをして近づき、周りの声に耳を済ませる。
「ようやくこの『お化け教会』が無くなるわ……知ってる?ここの神父、ミイラみたいになって見つかったって」
「その後も、そのミイラ神父が化けて出て、この教会を守ってるって話でしょ?作り話って分かってても気味が悪いわ。夜なんか、この通りを歩けなかったもの」
「ここの神父、生きてる時は相当悪い事してたらしいわよ。麻薬や、武器の密売なんかしてたんですって」
「いやあね、生臭坊主じゃない!」
嘘だ!お前らに何が分かるって言うんだ!
俺は心の中で叫んだ。目の前で笑っていた主婦二人が、引きつった顔でこちらを向いたから、もしかしたら、声に出していたのかもしれない。
俺の周りには、見る見るうちに人だかりが出来た。みんなは口々に何かを囁きあった。だが、俺には聞き取れない。
聞き取れるはずが無いんだ。こいつらはみんな罪人だ。罪人の言葉が、神に選ばれた俺に分かるはずが無いんだ!
俺はポケットの中の十字架を握り締めた。手の中に、力強い鼓動が満ちる。裁きの時は来た!
俺は右手を引き抜き、何度も引き金を引いた。目の前の景色がくるくる回り始めた。叫ぶ女達、血みどろの親父、賛美歌、ネズミの大群、お袋の死体、コールドクリームのCM、血まみれの作業服、神父の笑顔、パトカーのサイレン、石膏のキリスト像…………
これで俺の長い物語は、全部終わり。
これが俺のすべてさ。俺は不当な裁判を受けるため、ここにいるんだ。
え?何を認めたって?
引き金を引いた?さあ、きっといい間違いじゃないかな。お袋の死体を見た?さっき話しただろ、俺はドアを開けてないんだ。
俺の所持品?俺が持っていたのは、家を出てから、たったの二つだけ。
少しのお金と、神父が抱いていた黒光りする鉄の十字架だけさ。