「……そういうワケでさ、ボス、今回の件で車が潰れっちまったのは、思いもよらないハプニングのせいであたしらの責任じゃないってこと。おわかり?」
「ほう。このビルの駐車場で突然にか」
「突然じゃなくて!あいつはここまで頑張ったんだけど、日頃の無理が祟って、その結果のこれ……あーン、どう言ったらわかってもらえっかなあ!物分りの悪いおっさんの脳みそにもちゃーんと理解出来るように、あたし、噛み砕いて説明してるつもりなんだけど」
「いやいやいや、貴様の話はきちんと理解しているよ。だからもう2、3歩離れたところで私に話しかけてくれ。貴様の不潔な唾が飛んできて不快なんだ」
背中越しでも、ジジの表情が険しくなっていくのが見てとれる。
事務机越しの舌戦、まるで大怪獣大戦さながらの迫力に、応接セットの柔らかくくたびれた革ソファの上の俺は兎のように縮こまっていることしか出来ない。
舌戦、といってもジジはもう半分手が出ているような格好で、力任せにがたがた揺さぶれる机の軋みに怯えて声も出せないでいるのは俺だけで、対戦相手、つまり俺たちのボスは、時折眉を上げたり下げたりするだけで、クールな態度を崩さない。強敵だ。
俺たちはフリーの運び屋だ。貰える仕事は拒まない、獲れる仕事は逃さない、そういうスタンス。
が、何も無い野っ原で斧振り回したって、罠をかけてみたって、そうそう獲物はかからない。仕事に飢えたライバルたちが周りにいれば、なおさら。そういう奴ら相手に仕事をするのが、ボスだ。つまり、ボスは『斡旋屋』。総合事業代理請負、有限会社エニグマ。字面からして怪しさ満点だと思うのは、きっと俺たちだけじゃない。大体、こんな廃ビル一歩手前のビルに事務所を構えている時点でまっとうな仕事でないのは明らかで、客も従業員も、出入りする人間はすべからくうさんくさい。俺たちも例外ではなく。
で、そのボスだ。そりゃもう、怪しさだってラスボス級だ。ぴったりとオールバック、銀縁眼鏡、ジャッカルのような鋭い目、お医者さんがするような薄いゴム手袋を常に手にはめていて、声はまるで丹念に研ぎ澄ました銀のナイフ。
名前はタオ、でも俺たちにはボスと呼ばせている。でも、ボスだけど、ボスじゃないんだそうだ。俺たちを正式に社員としないのは、つまり、問題があったときにちょきんと関係を切って知らん顔出来るように。そういう話をジジから聞いて、頭がいいねと言ったら殴られた。阿呆、あたしら馬鹿にされてんだよ。完全にナメくさってやがる。悔しくねえのかよ、お前。
そういう事を言われたからって訳じゃないけど、正直、俺はこの人が好きじゃない、というか、怖い。昔、俺がこどもだった頃、俺の母ちゃんに「この子の異常さは人間の子供とは思えません、私にはお手上げです」と言ってカルテの挟まったファイルを投げつけた医者にちょっと似ている。
「本当、この通り。頼むって。仕事自体はきっちりやっつけただろ?新品にしろっつってんじゃねぇんだからよ!」
「わかった、黙れ。仕方がない。最低限の修理費用は負担してやろう。最低限な」
おお。ごね倒すジジに、珍しくボスが根負けした。しかも、最低限とはいえ修理費用を負担してくれるとまで言った。ドアがふっとんだって使いかけのガムテープを差し出して代金を要求するほどケチなこのボスが?真夏に大雪が降りだしそうな話だ。
「もう一度聞くが、お前らを襲った女は銀色の外装にゴシック内装の対戦車ミサイル搭載大型トラックに乗ったロリータ風の女、だな?」
「おぅ」「うん」
俺とジジの声が重なる。
ボスはふうむと唸り、安楽椅子ごとくるりと俺たちに背を向けた。そしてそのまま、
「貴様ら、というよりも、ジジ、その女を見つけても手を出すな」
「はン?」
思いもよらない修理費負担の申し出に温度を下げ始めていたジジの心に、再び火がついた。
「そらどういう意味だい、ボス?」
「貴様のような頭の悪い猿が考えつくような悪態狼藉を彼女に振るうなという意味だ」
「ボス、なーぁボス」
ジジが馬鹿に大人しい猫なで声を作る。
「そりゃあたしらはあんたからしたら猿山の猿が二匹お恵頂戴とやってきたようなもんだろうさ。あんたはあたしらに芸を仕込んで金儲け。あたしらは餌をもらう。ギブアンドテイクっていうにはちょいと差がある立場ってのは承知してるよ。だけどさ、いくらあんたが猿回しの達人でも、猿山で怒った喧嘩を裁量する権利も義務もないだろう?平たく言うと、あたしらの問題に口出すなってこと」
「口をはさむつもりはない。ただ、猿回しの立場としては、問題を起こす猿に餌をやる義理はない、ということは明言しておこう」
「先に手ェ出してきたのはあっちだぜ!」
バンッ、ジジが声を荒げ机を叩く。ボスは静かに言った。
「どうするかは貴様次第だ、自分のわがままで相棒まで路頭に迷わせる覚悟があるなら好きにしろ。ただしこちらは一切関知しない。修理費の負担もナシだ。わかったら帰れ。次の仕事が入り次第連絡する」
それきり、ボスはだんまりを決め込んだ。
ジジは何か言いたそうに息を飲んで、そのまま、何も言わずゆっくりと吐き出した。そして、ボスのデスクに背を向け、俺の襟首をひっつかんで、引き摺るようにして「エニグマ」のオフィスを後にした。
* * *
「災難だったな」「災難だったね」
駐車場に戻ってきた俺たちの前に、立ち塞がった2人の男。
げ。
声に出してしまったかどうかはわからないけれど、俺のビクついた態度はしっかり二人に見られたようだ。
「どうしたアリオ?」「ジジの影に隠れて」「ほんとお前ってどこにいても『られっ子』だな」「いじめられっ子、パシられっ子」
鏡に写したようにそっくりな嫌らしいニタニタ笑い。俺は気管を直接握られたようになって、うまく声も出せず、ううう、と呻いてジジの背中に顔を隠す。
ちょっと、いや、すごく情けない、今の俺。
サシャとサシェの双子の兄弟。俺はこいつらが好きじゃない、というか、大嫌いだ。そして怖い。こいつらはいじめっ子で俺はいじめられっ子。昔、俺がこどもから片足だけ卒業した頃、尻の穴に火のついた花火を詰められたことを未だに夢に見る。
「サシャもサシェも、あんまりアリオをいじめんなよ。お前らのが年下なんだからさ……敬えとはまでは言わないけど、その態度はどうにかしろよ」
「まさか」「いじめるなんて」「もうそんなことしないって」「俺たちもう餓鬼じゃないし」「今のはただの挨拶だよ」「悪かったよアリオ、からかって」
ジジの背中から頭を半分だけ出して2人の様子を窺うと、いかにも善良そうな笑顔。にこにこ。
2人とも、ジジの前では大人しくいい子を演じている。3年前の夏の夜、公園でいとも容易くころんと転がされたのがよっぽど堪えたらしい。ジジとこの2人の縁も、俺と同じ、あの日あの場所から始まった。もっとも、同業者として再会したのはもっとずっと後だったけど。
「そんなことより」
サシャかサシェがぽんと手を打つ。
……このあたり、どっちがどっちかあやふやなのは、2人が顔も声も髪型も体型も服装頬に入れられたタトゥーも、鏡の向こうとこちらのようにそっくりおんなじになっているからだ。そう、1人は鏡合わせのように左右が逆で、確か、左頬にタトゥーがあるのが……サシャかサシェだ。で、右だったらそうでない方。答えになってないけどそれでいいや。区別なんかつかなくたって、中身だってそっくり同じ、弱い者いじめが大好きな嫌な奴だってことだけは確か。
「女の話だよ」「そう女」「件の女」
「女。件の?」
「まったまたー!」「トボけたって無駄無駄!」
双子が派手な叫び声を上げた。
「トラックの女だよ」「物騒な女」「いい女なのに」「そうそう。素質があるよね」「それは今関係ねーよ」「そうだ、問題は」「あの女が何者かって話」
「! 知ってんのか、お前ら」
「知ってるよ」「もちろん知ってる」「聞きたい?」
「止めなよジジ、こいつらの言う事に耳貸すことなんて」
「うるせーな!」「お前は口出すなよ!」「駄犬の癖に図々しいんだよ」「犬はその辺で小便して寝ろ」
「うう……」
ひとつ口を出すだけで、これだけ返ってくる。背中にぶら下がったまま、もうちょっと泣きそうになっている俺の頭を後ろ手にぽんぽんと気遣わしげに叩いてから、ジジは2人に話の先を促す。
2人は見返りを要求することも無く、あっさりと喋り始めた。
「一言でまとめると、あれだな」「同業者だよね、俺らの」「ただ、背後で鎖握ってる奴がキナ臭い」「アブないブツ専門でさ」「タオが釘刺したのもその辺の事情」「つまりあんたらが打ち込まれたようなアレってこと」
途中から話が交差しだしてこんがらがってきた。つまり2人の話をまとめると、つまりあの野郎……じゃなかった、女郎は何かおっかない組織と繋がりのある銃器武器類専門の運び屋で、ボスがジジに手を出すなと言ったのはそいつらを敵に回したくなかったからで。
「でもあの人だってね」「タオだってね」「本心では何とかならないものかと思ってる」「そりゃそうだ」「あの女、典型的なトリガーハッピー」「無差別に同業者狩りしてるって噂」「大迷惑だよ」「ほんとこっちは」「ただ飼い主がなー」「ま、最近じゃ飼い主も手を切りたがってるらしいけど」「狂犬なんか飼ってたらいつ手を噛まれるかわかったもんじゃないし」
「……お前ら、随分あの女に詳しいんじゃねえか?」
勝手に盛り上がる双子を前に、腕組みして難しい顔のジジ。
「で、結局お前らの狙いは何よ?」
「はて」「狙いとは」
「お前らこそトボけてんじゃねぇか。あっさり情報投げ渡しやがって、代金はきっちり取り立てる気なんだろ」
「ひゃ!やっぱ誤魔化せないなー、ジジの目は」「恐れ入ったね」
大げさに驚いてみせる2人。ただでさえ導火線の短いジジ、流石に焦れて落ち着きなく靴底を鳴らす。
「あたしはね、そういう周りくどいのが一番嫌いなんだ。言いたいことがあるならさっさと言え、お前らはあたしらに何をしろっての?」
「では単刀直入に」
サシャかサシェが芝居がかった仕草で指をぱちんと鳴らした。
「俺らの望みはあの女そのもの」
「そのもの」
「そう。手足と首と胴体揃った完品で」「あ、多少の傷は気にしないから」「そろそろ新しいペットが欲しかったんだよねー」「ああいう思春期こじらせて狂気のヒロインぶってる女」「クソがつくほど魅力的な逸材だね」「あれは奴隷の素養があるよ」「ていうか俺らがそうさすんだけどさ」ケタケタ笑う。
「はぁ、なるほど、理解した……お前らってどこまでも淀みなく下衆で変態だな。そこまで自分に正直な生き方ってある意味うらやましいわ……」
しみじみとジジがつぶやく。聞こえているのかいないのか、2人はどんどん話を進めていく。
「でも俺たちだけじゃちょっとね」「流石にあの化物トラック相手じゃね」「本人も結構な武装してるし」「そこでジジにさ」「何とかしてもらおうと」
「何とかったって、お前……」
心底あきれ返った様子のジジが、両手を開いて苦笑する。
「ボコボコにされて逃げ帰ってきた始末がこれだぜ?」
「そんなもの!」「トラックから引きずり降ろせばジジの圧勝だよ」
「そうかねぇ」
「そうだよ!」「自信持って!」「ジジはやればできる子!」「今まで幾人をも沈めてきた伝説の右で!」
「ンな伝説ねェよ。ボスはどうすんだ」
「細かいことは気にしなーい」「ボスのことも気にしなーい」「お膳立ては俺たちが完璧に、って」「お前も協力するだろアリオ」
「は、ふぁい?」
調子のいいおべんちゃらを聞き流しているといきなり名前を呼ばれて、うっかり間抜けな相槌が口から飛び出した。途端に2人からの口撃。
「なんだよ」「そのやる気の無い返事は」「お前だって悔しいだろ?」「男なら悔しいに決まってる」「不意打ちなんて卑怯な手口で」「一方的な爆撃なんて」
悔しい?
どうだろう。どうかな。さんざん自分の腹の中を引っかき回してみたけれど、悔しいとか、腹が立つとか、そういう感情は湧いてこない。
それより、深入りしない方がいいんじゃないか、とか、トラック女とも双子とも関わり合いになりたくない、車が直るなら別にそれでいいや、とか、どちらかというと、逃げ腰の感情が先に立つ。
でも。
ジジの後頭を見る。駐車場に停車した、大雨でも降ったらぺしょんと潰れそうなほどこたこたになった俺たちのバンを見る。
俺たちの。
『お前はあたしを裏切らない。あたしもお前を裏切らない』
今、逃げ腰の俺って、すごく、いや、ものすごくかっこ悪い。双子に怯えてる時よりずっと。
俺の気持ちはジジを裏切ってる。そんな気がして、そんな自分が、心の底から……
「……腹、立つよ」
ジジがびっくりした顔で俺の方を振り返った。双子は同時に飛び上がって歓声を上げた。
俺たち4人の共闘作戦はまだ始動してすらいないというのに、俺は早くも何かデカい仕事をやりとげた気分で、空を仰いだ。くっきりと描かれた、白と青。