ある日、高層ビルの並ぶ街の真ん中に、真っ黒くて大きな怪獣が一匹やってきた。
「こわいはなしー…?」
ううん、怖くない話。
怪獣は野球ドームの上にどっこらしょっと腰かけて、猫背になって溜息をついた。はあ。
溜息っていっても、怪獣は体がものすごく大きいから、鼻息だけで観覧車とかぐるんぐるん回っちゃうの。
「め、まわっちゃうね」
うん。観覧車がお休みの日じゃなかったら、大変な事になってたんだな。
で、それを見た怪獣、今度は違う方向を向いて溜息。ふう。そこまで近づいていた台風がUターンして戻っていった。
「そんなにおっきいの?」
すごく大きい。でも、悪い奴じゃなさそうだ。
びっくりして街から逃げ出した人達も、怪獣がおとなしいのを不思議に思って帰ってきた。
どうしてこの怪獣は、暴れもしないで溜息ばかりついているんだろう?
街の人たちはみんなで相談して、怪獣に聞いてみることに決めた。
町の代表に選ばれたのは、昴くらいの男の子。
「こどもー?」
そう、子供。この街で一番声が大きいのがこの子だったんだ。
男の子は街で一番高いタワーに上って、怪獣に向かって叫んだ。
怪獣さん!どうして溜息なんかついてるの!
すると、怪獣は話し始めた。
「なにごで?」
何語?
うーん……日本語だな。
「どこでならったの?」
日本怪獣大学。略してニッカイダイ。
日本中の怪獣がそこで勉強してる。
「どんな?」
それは、怪獣さんに聞いてみないことにはわからないな。
俺はニッカイダイの生徒じゃないから。
「きいたらよかったのに」
……そうだな。
でもその時は、とにかく溜息の理由が気になったから、男の子はそれだけ聞いた。
どうして溜息をつくの? って。
で、怪獣が言った。喧嘩をしてしまったんだ。
「だれとー?」
正義の味方と。
「んー、でも、それはかいじゅうさんがわるいことしたからだよ」
男の子もそう言った。
怪獣はこう答えた。そうか。何が悪かったのかな。
電信柱を折って爪楊枝にしたのが悪かったかな。ガスタンクでボール遊びしたのが悪かったかな。
「それは、すごーくわるいね」
うん、悪いな。怪獣は反省してた。
で、あいつと仲直りしたいなあって言った。仲直りするにはどうしたらいい?
「んー、あやまる」
でもなあ、怪獣は素直な奴じゃないから、正義の味方と会ったらまた喧嘩になっちゃうかも。
どうしよう。昴ならどうする?
「すばるはねー……けんかしない」
あはは、そうだな。
男の子も喧嘩したことなかったけど、怪獣の為にいい方法を考えた。街のみんなも考えた。でも、いいアイデアがなかなか浮かばない。
そこに、たまたま三浦さんが通りかかった。
「えー!」
街のみんなが話すのを聞いた三浦さんはこう言った。
ふん、そんなの簡単じゃねえか。会って喧嘩になるなら、会わなきゃいい。
「なかなおり、しないの?」
ううん、そうじゃない。
三浦さんは怪獣に原稿用紙と万年筆を貸してあげた。
怪獣は右手の指先でそっと万年筆をつまんで、左手の人差指の上に原稿用紙を置いて、正義の味方に手紙を書いた。
拝啓、正義の味方様、悪いことしてごめんなさい、これからはいい怪獣になります。
「で、なかなおりできたの?」
うん、できた。
それと、怪獣には三人の友達ができた。
「せいぎのみかたと、おとこのこと、みうらさん?」
うん、そうだ。
「へえぇぇ……すごいね、みうらさん!」
「……別に、凄かねぇよ」
原稿用紙から顔を上げて三浦さんは言った。
そして、昴にはわからないよう声には出さずに(子供におかしな話を吹き込むな、そして俺を勝手に使うな)と久保さんを睨む。
「いやぁ、三浦さんはすごい人だよ、なぁ昴」
昴にそう言いながら、久保さんもやはり目だけで(お前だって乗っかってんじゃねーか)と三浦さんに答える。
頭上で交わされる目配せの応酬を見ながら、昴は(どうして大人は声を出さないで話ができるんだろう?)と首を傾げる。
「大体、なんでお前ら俺の部屋にいるんだ」
「遊びに来たんだよなー」
「なー」
「なー、じゃねえよ!邪魔!」
さっさと出てかないと俺は泣くからな、と妙な釘のさし方をしてから、三浦さんは文机に向き直り再び小説を書き出した。
久保さんが、昴の口に縦にした人差し指を当てた。昴は久保さんの顔を見る。笑っていた。
久保さんは昴を抱き上げて、忍び足で玄関へ向かう。昴は、久保さんの肩越しに三浦さんを見た。
原稿用紙の高層ビルの中、真っ黒で猫背の怪獣が、万年筆で頭の後ろを掻きながら溜息をついていた。