二人で動物園に行ってきた、らしい。
「ほら、最近猛獣舎が新しくなったってニュースで言ってたやつ。
それ見て、昴が行きたいって言い出して。あいつからどこか行きたいって言うの、珍しいし」
たまたまそれを宇多田が耳にして。
「スケッチブックと色鉛筆をくれたんだよ」
「で、ライオンの檻の前でこの絵を描きあげた、と」
遠藤は、たった一日で砂ぼこりまみれになってしまったスケッチブックを見る。
真っ白な紙の真ん中に、オレンジと黄色で円と三角形の集合体が描かれている。
「どうよ」
「これはまた、なんとも……」
スケッチブックから目線を上げる。
久保が、肯定以外の返答が返ってくることなど微塵も想定していない表情で遠藤を見つめている。
「……前衛的だ」
「あいつ天才かもしれない」
スケッチブックとソファで眠る昴を交互に見やり、うっとりと呟く。
愛情は、時に人を盲目にする。
その愛が昴を幸せにし、今晩のおかずを一品増やしてくれるのなら、あえて否定する理由はどこにも無い。
「おいおい何だこれ。3歳児だってもちっとましな絵描くぞ」
という定石を、持ち前の無神経さと切れ口のいい口調であっさりぶち壊してくれる御仁もいる。
「ンだとぉ!?アンタにはわかんねぇのか、子どもが大自然の美しさに触れた感動を一枚の紙にぎゅーっと凝縮したこの絵の素晴らしさが!」
「なーにが大自然だ、近所のしょぼくれた動物園じゃねぇか!」
「まあまあ、二人とも落ち着いて話そう。昴が目を覚ますよ。三浦さんもここはひとつ大人になって、社交辞令というものを……」
「てめっ……さっきのあれは世辞か、世辞なのか!」
「いやそういう訳ではないけども」
大人三人が一冊のスケッチブックを中心に(トーンは控えめの)大論争を繰り広げていると、ソファの背もたれの上にもふもふとタオルケットの塊がよじ登り、おずおずと不安げな声で。
「けんかー…?」
「してない!喧嘩してない!」「ちょっと大きな声でお話してただけだよ!」「気にすんな!寝ろ!」
全力で否定する大人三人。
昴はタオルケットの端で顔をぐしぐしと擦り、黒目がちの大きな目をまだ寝たりなさそうに瞬かせた。
ふわふわと据わらない視点がスケッチブックで止まる。
「それ……すばるの……」
「お、おう!
みんなでな、昴は絵が上手だなーって話してたんだよ!」
久保の言葉に、昴はもじもじとはにかみながら言った。
「うん……うまくないの。でも、がんばってかいた……ひまわり」
数分後、再び夢の世界へ旅立った昴の隣で、スケッチブックを眺めながら久保はぽつりと呟いた。
「そういや猛獣舎の壁に描いてあったわ……ひまわり……」
その日の夕食は、普段とまったく変わりない質素なメニューだった。