六角はベンチに凭れて、四角く切り取られた夜空を見上げていた。
立ち上る紫煙が砂時計の形に並んだ星に絡み付いて消えた。あれは確か、子供でも知っている有名な星座だったと思う。昔からこういう物の名前を覚えるのはどうにも苦手だ。
(あなたって何でも出来そうな顔して、案外無知よねぇ)
彼女はそう言って笑っていた。初めて花を贈った日。店員に勧められるままに買ったあの花はなんて名前だっただろう。
記憶を辿ろうとして、ひどい眩暈に襲われる。
幸せだった日の追懐と数珠繋ぎに引きずり出される、吐き気を催すような憎悪。焼きついて離れないあの赤。おぞましく燃える緋色。
(アンタが何もかも失った時、)
組織の歯車のひとつでいられた最後の日、奴は勝ち誇った声で言った。
最後までアンタの中に残るのはアタシだよ。アンタにはもうアタシしかいないんだ。アタシがそうしてやったんだからね。そう宣言して、高らかに笑いながら同僚の腹を踏み貫いた。
その通りだ。すべてを捨て、畜生の生き様に身を落としてもなお、泥の中からあの男の後ろ髪に手を伸ばし続けている。奴がそう望んだように。
指の間で燃え尽きかけた煙草を投げ捨てる。地面に落ちる前に赤い灯がかき消えた。
「ポイ捨てすんなよ。元刑事だろ」
携帯灰皿に煙草を押し込みながら、七海が呆れた口調で言った。
「何だ、刑事はポイ捨てするなって法律があんのか」
六角が不貞腐れたように言うと、七海は小学生かよと笑いながら隣に腰掛けた。
繋ぎのポケットから缶コーヒーを取り出し、勧める素振りも見せずに口をつける。小さな缶の中身を一息で飲み干し、しばらく視線を夜空に漂わせた後ポツリと呟くように言う。
「おっさん、復讐なんてやめとけって。つまんねぇよ」
胸が軋むように痛んだ。
そっと鳩尾を擦ると指先にホルスターが触れた。体に馴染んだ重み。今さら捨てる事など出来ない。
新しい煙草に噛み付き、火を付ける。苦い味が口に満ちた。
「つまんねぇか、俺の生き方は」
「いや、何つーかさ……そういうのって、どう転んでもおっさんが不幸になるだけなんじゃないの?」
缶の底でがりがりと頭を掻き、取り繕うように笑う。
「なんて、カッコつけ過ぎ?」
その時、遠くから複数人の悲鳴が聞こえた。そして、甲高い笑い声。
七海が制止する間も無く、六角は駆け出していた。車止めを飛び越え、闇の呼ぶ方へ。
今夜も空虚な鬼ごっこが始まる。ゲームが終わっても、帰る場所は無い。