「お客さん、困るんですよ……こっちも商売なんで」
カウンターにやる気なく凭れた五條は小さく溜息を吐き、眼前の男を睨めつけた。
赤い着物の男。噂を知らぬ者はいない、連続殺人鬼。
しかし、五條には関係ない。件の男が店にいるならお客様であり、金を払えないと言うなら泥棒だ。
「無いモンは無いんだ。しょうがないだろ?」
「払えないなら売れませんよ」
悪びれる風もなく言い放つ男に、五條は首を横に振る。カウンターに置かれたペットボトルを押し戻し、どうぞお帰り下さいと背を向けた。
その首筋に、ひたりと冷たい感触。
五條が動きを止めた。九重はくすくすと童女のように笑う。
「アタシが大人しくお願いしてる内に聞いた方が利口だよォ?」
九重が手首を捻ると、白いシャツの襟元がじくじくと赤く染まっていく。
このまま刎ね飛ばしてしまいたい―――背筋を駆け昇る快感に、九重は吐息を押し殺す。
五條の震える唇が何事かを呟くのが見えた。命の瀬戸際に念仏でも唱えたか。いじましい覚悟に免じて苦しむ間も与えず逝かせてやろうと切っ先まで殺意を込めた、その時。
こつり。
足元から上がった、ごく小さな音。硬質な物同士が擦れ合ったような。
五條が首だけ振り向いた。その顔は明らかに、笑顔の形に歪んでいた。
「その科白、そのままあんたに返してやるよ」
『悪寒』が。
そうとしか形容できない、目に見えない何かが足元から這い上がってくるのを九重の動物的な勘が捉える。
刀を持つ手が震えた。否、震えているのは手ではない。刀自身が、ちりちりと音を立てて微細に震えている。震えながら、刀身が消えていく。油を浸み込ませた短冊に火をつけたような、凄まじい速さで。
九重は刀だった鉄屑を床に放り捨てた。飛び散った破片も間もなく溶けるように消えた。
視線を前に戻す。五條の笑顔と銃口が眉間に向けられていた。
「……で?」
「動じないね。流石」
「それでアタシを脅かしてるつもりかい?」
「そうだなぁ」
五條が喉の奥を震わせて笑う。
「あんたなら素手でも俺を殺せるよ。でも流石にあんただって無傷じゃ済まないだろ?
……さっき、八代がここで買い物して行った。つい数分前だ。まだこの辺うろついてるだろうな。六角さんは今日もあんたを追っかけてこのあたりに張り込んでる。それと、知ってるか?このすぐ近くが十和の餌場なんだぜ。
そうそう、今日は綺麗な満月だ……こういう晩は一ノ瀬がふらふら徘徊してるんだ。あんた前に目が合っただけで燃やされかけたって?三木が教えてくれたよ。
さて、丸腰のあんたはどこまで走れるだろうねぇ?」
九重は何も言わない。
牙を抜かれた狼に、狐は賢しい薄笑いを向けた。
「2歩下がって、跪け。話はそれからだ」