僕が読み解きに没頭しているうちに、雨は幾分小降りになっていた。
彼は泥ん子を身につけたままの自分のマントでぐいぐい豪快に拭っている。
頭がもげやしないかとはらはらするが、竜の化身はそれほどやわではないらしい。汚れた布の下から時おり「くしゅぐったいぃ」と唸るのが聞こえる。
彼は探索の切上げを提案し、僕もそれに同意した。
一名、咆哮による不服申し立てがあったが、帰ってから山ほどチョコレートパイを焼くという条件で合意を取り付けた。
「ちょこぱい!」
「はいはい」
「いっぱい焼きますよー」
「にくも!」
「それは……」
「うぅー!」
「わかったわかった」
「どっさり焼きますよー」
ホルムへ伸びる道を三人、列になって歩く。
かじかむ11月、僕らのいる場所だけが陽だまりのように暖かい。
悲しみを、責務を、忘れたことは一瞬たりとて無い。けれど彼と共有する時間はあまりに甘やかで、たまらなく愛おしかった。終わってしまうのが惜しいとすら思う、僕はなんて身勝手だろう。
止まらない時計の針がちくりちくり胸を刺す痛みは、後ろめたさへのささやかな償いになるだろうか。
さっき横から覗いて気付いたんだけどさ。前を行く彼は一度ちらりと僕を振り返ってから、独り言のように話し出した。
「今日でちょうど8ヶ月だったんだ」
「ん、」咄嗟に、主語を掴みかねた。「…ああ、僕らが出会ってから」
「もうそんなに経つか」
「うち半年くらいは夢の中を彷徨ってたらしいですけど」
「……実感がないはずだな。正味2ヶ月ちょっと、か。そう考えると、たったそれだけ、って感じがするな」
「いろいろ……ありましたからね。僕が今まで生きてきた中で、一番濃密な2ヶ月間でした」
「ああ、俺も」
お互い思うところがあったのか、そこで会話が途切れた。
彼は来た道を振り返り、遠い目をした。彼の視線を追いかけて、僕も背後を顧みる。
泥濘の上、僕らの足跡は寄り添い、もつれて、はるか遠くから続く。
「もうすぐ終わる」
呟く声は、その時を待ち焦がれるようにも、寂しむようにも聞こえる。
違う、寂しいのは僕だ。僕の自分本位な感傷が、彼の言葉をそう聞こえさせるだけ。
わかってる、のに。
それでも僕は、夢を見ずにはいられない。
もしも彼が、僕と同じ気持ちだったら。
あるいは一度分かつ道も、その先で再びひとつになる―――かも、しれないと。
「おやつー!にくー!とまるなー!」
道の先に立つ子どもが叫ぶ。
物騒な呼び方をしてくれる、と彼は肩を揺らした。
「急ごうぜ。これ以上待たせると本当におやつにされそうだ」
「うう、丸かじりはごめんですよ…!」
駈け出す彼を追いながら、本当は、もっとゆっくり歩いたっていいくらいだと思った。
だけどそれは、今じゃなくていい。
時間は有限だ。でも、僕のわがままが許されないほど短くもないはずだ。
いつかまたこの道をのんびり歩こう。その日はきっと快晴で、僕らはふたり馬に乗り、剣の代わりに彼の好物ばかり詰めたバスケットを携え、今は遠く眺めるばかりの丘までも駆けて行くんだ。
未来も、彼の気持ちも、目には見えないけれど。
ひとつだけ確かなのは、今日の僕も"いつか"の僕も、あなたが誰より好きだってこと。