水泡に帰す

河を見ていた。

ずっと河を見ていたのだと、思う。終わりなき始まりの時からずっと。

波は磧に寄せて返す。波が持ち去った砂と同じ分の砂を次の波が押してくる。繰り返す一瞬が紡ぐ永遠。河を見ていると失った何かを思い出す。思い出さない。始めから何も持っていない私は何も失くさない。

永遠の中でいつか私はどろどろに融けて澱のように沈み、今は上澄みだけがあった。澱の中にはかつて私の大切だったものが混ざっているような気がした。偶像。樫の杯。輝石。火。声。でも、もう何もかもどうでも良い。良いのだ。私は上澄みの中で揺蕩うあぶくでいたかった。私の息が詰まったあぶく。いつかぱちんと割れて、小さなちいさなさざ波を残してそれすらも瞬く間に消える。私を私たらしめるものはもはや何もないから私は安心して眠りとも目覚めともつかない微睡みに耽る。

私。エメク。そう。神殿に寄食する孤児の。朝日と共に目覚め、神殿を掃き清め、養母とふたり倹しく温かな食卓を囲み、蝋燭を灯し、祭壇に祈り、墓石を拭き、食事、祈って、蝋燭を消し、夢も見ずに眠る。次の朝が私を現に呼び戻すまで。

安らけき停滞の日々とその隙間に流れる賛美歌が私を人の形に作った。形だけで、中身は空ろだった。からっぽだからかなしくないし、うれしくないし、だからどうということもなくいきを吸って吐いて顔をとりつくろいときどき音を出してまだ生きているかたしかめるだけ。

舟に乗っていた。

ずっと舟に乗っていたのだと、思う。舟には私と黒い子どもが乗っている。

私は彼を知っている。と、思う。彼が携える剣は私が彼に贈った。私を殺そうとした刃。

櫂を漕ぐ私は彼の為に舟歌を歌う。声は水面に流れると海蛇に変わって舟の周りを泳いだ。幼子の長い睫が表情の無い瞳に印象的な翳を描き、しばたきの起こす微風は湿り気を帯び私の僧衣の裾を濡らすので、居た堪れず彼の髪に瞼に唇を落とす。差し伸べられた彼の両手には潰れた剣胼胝が五つある。私は何も持っていないので、彼の空っぽの両手は私自身で埋めることにした。

彼の吐き出す息が私を満たした。それは寂しい味がしたが、温かかった。聖別された日々の中には無かった生々しい温かさ。彼もまた私の息を吸い込み、墓土の味がすると言った。

私は人の形をした冷たい器で、彼は熱を持て余す獣だった。私達は同じ空虚を抱えていたがそれ以外はまったく異質の存在であったので混ざり合うことが出来ずただ互いの息を交換して喘ぐばかりで、それは人足り得ぬ二粒のあぶくが持てる唯一の人らしい営みでもあった。

いつかぱちんと割れる私の残す小さなちいさなさざ波は、きっと彼を壊すだろう。或いはさざ波を起こすのは彼かもしれない。その時私もまた壊れて消えるだろう。

その一瞬、私達は漸くひとつになれる。永遠に。

2014/11/1