送り狼

通い慣れない裏道を選んだのは、友人との待ち合わせにもう半時も遅れていたからだった。

少しだけ、とラジオをつけたのが運の尽き。母親がまだ出掛けなくていいのかと告げた時刻は、既に約束の時を過ぎていた。

焦る心が、思考を空回りさせる。

急がば回れとは言いえて妙で、入り組んだ長屋の間で、少年はすっかり道に迷ってしまったのだ。

男に声をかけられたのは、そんな、小路の真ん中で途方に暮れていた時だった。

「兄さん、どうしたんだい」

背後から聞こえた軽やかな声に、少年は振り返る。

男の声は、古びて崩れかけた長屋の中から聞こえた。入り口の木戸には大きな穴が開き、そこから湿った陰が流れ出している。

目を凝らしてみるが、中の様子を窺うことは出来ない。

しばし逡巡した後、木戸に手をかけた。耳障りな軋みを上げて、木戸が開く。

「ふふ、遠慮すること無いよ」

薄暗がりの中には、女物の着物を肩にかけた男が寝そべっていた。煙草の煙を吐き出すと、にこりと微笑んで手招きする。

少年は親しげな男の様子にいくらかほっとした様子で、小さく一礼して、長屋の中に足を踏み入れた。

生温い空気がねっとりと少年に纏わりつく。思わず息を詰めるが、それはこの家の主にあまりに失礼だと気付いて、慌てて吐き出す。

男はそんな少年の様子に気付く風でもなく、指先で煙草を弄んでいた。

男に促されるまま、上がり框に腰掛ける。男の方も部屋の奥から這ってきて、少年の隣にごろりと寝そべった。

「実は、道に迷ってしまったみたいで」

「この辺りは道がややこしいからねェ」

おずおずと切り出した少年に、頷いて返す。

「アタシもたまに迷うんだ。アンタ、この辺りは初めてかい?」

「はい」

「なら、迷う訳だよ」

いかにも同情めいた口調でそう言って、仕舞いには表の通りまで送ってやるとまで言い出した男に、少年は慌てて首を振る。

「そんな!道を教えてもらえたら、それで……」

「アタシは無学でね、地図も字もよく知らないのさ。送ってく方がよっぽど話が早い」

男はそういって、からからと笑った。

あくまでも人懐こい男の様子に、いつしか少年の緊張も緩んでいた。

「そうですか、じゃあお言葉に甘えて……」

困っていたところに親切をしてもらって、それを無下に断るのも失礼な話だ。そう思い直し、早速案内してもらおうと腰を浮かせた少年の腕を、畳に寝転んだままの男が掴んだ。

反射的に体を硬くする少年を上目遣いで見上げ、せがむ様な口調で言う。

「まぁ……そんなに焦る事ないだろ?茶の一杯くらい付き合っとくれな」

男の言葉に、少年は僅かに躊躇った。

友人を待たせているし、ここに長居は出来ない。そのことを告げようと口を開きかける。

が……

「こんな汚い長屋にいるのは、嫌かい?」

寂しげに微笑む男を見ると、折角良くして貰ったのにと、根がお人よしの少年は、男の言葉に従うしかないのだった。

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