乱拍子

その瞬間、男の咽から空気の漏れる音がした。

少年は己の顔に、熱い液体が掛かるのを感じた。

男の荒い息遣いは、次第に痰の絡まる様な水っぽい音に変わってゆく。それを聞いて、少年は、己の試みが予想以上に上手く運んでいる事に、戦慄した。

震えが止まらない。高揚感と恐怖が体中を駆け巡っている。笑いたいような、泣き出したいような気分。

ざりり―――

男が畳に爪を立てる音がした。少年は僅かに後ずさる。背中に土壁が当たった。

ざり、ざりり―――

しかしその音は、少年の予想に反してそれ以上少年に近づくことはなく、やがて、ふつりと途絶えた。さっきまで聞こえていた、絶え絶えの喘ぎ声も聞こえない。痛いほどの静寂。

少年の口がほんの僅か、震えるように動いた。

「しんだ、の?」

唇に言葉を乗せてみて、少年は、その馬鹿馬鹿しい響きに苦笑した。

そうに決まってる。そうでなければ困る。なぜなら少年は、その男を殺す為にここを訪ねたのだから。

右手にしっかりと握り締めた包丁から、指を一本一本引き剥がす。滑りと手の震えでなかなか上手くいかない。何とか手を開き、それをささくれた畳の縁に深々と突き刺した。

開け放たれた障子から、冷たい風が吹き込んでいる。誘われるように縁側に出ると、甘い香りがした。何の花だろうか。

―――ああ、あの人の声が聞きたい。

あの人は、今の僕を見て、どんな声を上げるかな?

少年は縁側に座った。柱に寄りかかり、甘美な夢を見ているような表情で、人を待つ。その身体はもう、震えてはいない。

雲雀が、悲鳴のような鳴き声を上げて飛び去った。

2007/12/5
こうなったっておかしかない、というはなし。